Information
■ライブ・スケジュール 詳細を見る
2023年
9月30日(土)Live CUSTER(ライブ·カスター)
14:00 Open/14:30 Start
地下鉄:千代田線湯島駅 銀座線上野広小路駅
JR御徒町駅
11月25日(土)Live CUSTER(ライブ·カスター)
14:00 Open/14:30 Start
地下鉄:千代田線湯島駅 銀座線上野広小路駅
JR御徒町駅

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2023年
9月30日(土)Live CUSTER(ライブ·カスター)
14:00 Open/14:30 Start
地下鉄:千代田線湯島駅 銀座線上野広小路駅
JR御徒町駅
11月25日(土)Live CUSTER(ライブ·カスター)
14:00 Open/14:30 Start
地下鉄:千代田線湯島駅 銀座線上野広小路駅
JR御徒町駅
30.2015
今日はCuster Live でした。
今日は湯島のカスターでライブでした。
今月のテーマは「甘美なるケルト&ドイツリートの調べ」「魅惑のスタンダード&ラテン」の2本立て。
なんだか映画音楽などのCD集みたいなサブ・タイトルですね。
第1ステージ
ケルト音楽は「スカボロー・フェア」「グリーン・スリーブス」「トネリコの木立」
ドイツリートはシューマン『詩人の恋』より「美しい五月に」、シューベルト「水の上に歌える」「鱒」でした。
他にも、初夏のイメージにぴったりな、(と思っている)武満徹「MI・YO・TA」を久しぶりに歌いました。
五月の終わりにすべり込みで、「五月のパリが好き」も入れてみました。カスターでは初めてでしたね。
第2ステージ
スタンダード・ジャズからスタート。堀内なつみさんのピアノ・ソロ『ニュー・シネマ・パラダイス』の「愛のテーマ」はとても素敵でした。
終盤はラテンに移行するのはお決まりパターンになっていたので、今回は沖縄を題材にした曲を最後にしてみました。
如何でしたか?
沖縄から取り寄せた豆の状態の泡盛焙煎珈琲を堀内なつみさんにプレゼントしようと思ったら、どうやらコーヒーミルがない様子。そこで昨夜、30分ほどコーヒーを挽きながら「Moliendo Cafe」を口ずさんだのでした。
というわけで、アンコールは「Moliendo Cafe」にしました。
次回7月4日も「甘美なるケルト&ドイツリートの調べ」「魅惑のスタンダード&ラテン」の2本立てです。
梅雨のさなかですが、夏の曲を検討してみるつもりです。どうぞよろしく!
今月のテーマは「甘美なるケルト&ドイツリートの調べ」「魅惑のスタンダード&ラテン」の2本立て。
なんだか映画音楽などのCD集みたいなサブ・タイトルですね。
第1ステージ
ケルト音楽は「スカボロー・フェア」「グリーン・スリーブス」「トネリコの木立」
ドイツリートはシューマン『詩人の恋』より「美しい五月に」、シューベルト「水の上に歌える」「鱒」でした。
他にも、初夏のイメージにぴったりな、(と思っている)武満徹「MI・YO・TA」を久しぶりに歌いました。
五月の終わりにすべり込みで、「五月のパリが好き」も入れてみました。カスターでは初めてでしたね。
第2ステージ
スタンダード・ジャズからスタート。堀内なつみさんのピアノ・ソロ『ニュー・シネマ・パラダイス』の「愛のテーマ」はとても素敵でした。
終盤はラテンに移行するのはお決まりパターンになっていたので、今回は沖縄を題材にした曲を最後にしてみました。
如何でしたか?
沖縄から取り寄せた豆の状態の泡盛焙煎珈琲を堀内なつみさんにプレゼントしようと思ったら、どうやらコーヒーミルがない様子。そこで昨夜、30分ほどコーヒーを挽きながら「Moliendo Cafe」を口ずさんだのでした。
というわけで、アンコールは「Moliendo Cafe」にしました。
次回7月4日も「甘美なるケルト&ドイツリートの調べ」「魅惑のスタンダード&ラテン」の2本立てです。
梅雨のさなかですが、夏の曲を検討してみるつもりです。どうぞよろしく!
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29.2015
Live Custer いよいよ明日です。
新緑が元気いっぱいに広がり、もうすっかり初夏の様相を呈してきました。
カスターでのライブ、いよいよ明日です。
梅雨入りを前に、爽やかな曲、避暑地のイメージの曲、夏を先取りした曲を用意したいと思います。
どうぞお楽しみに!

カスターでのライブ、いよいよ明日です。
梅雨入りを前に、爽やかな曲、避暑地のイメージの曲、夏を先取りした曲を用意したいと思います。
どうぞお楽しみに!

28.2015
沖縄「備瀬フク木並木通り」 芭蕉布をめぐる旅⑧
4月22日(水) 、「沖縄芭蕉布をめぐる旅」の3日目です。
朝6:15、ホテルの窓から。エメラルドビーチ、沖に見えるのは伊江島タッチュー。
ちょっと曇り空です。
ホテル オリオン モトブ リゾート&スパは1年ほど前に出来たばかりの新しいホテルです。
プールもあるし、エメラルドビーチも目の前なのですが、ビーチの利用時間は8:00からなので早朝散歩も出来ません。しかし備瀬フク木並木まで徒歩3分の立地なのです。
2Fの朝食会場の大きな窓側の円卓から伊江島タッチューを眺めながら食事は格別。
今帰仁城跡も近く、北部観光の拠点に便利です。泊まるだけにはホント惜しいホテルでした。

朝食をすませ、9:00、備瀬フク木並木通りに向かいます。
朝の清々しい空気の中、美しい緑と掃き清められた白い砂の並木道を行きます。
厚みとツヤのある、明るい色合いの葉っぱです。民家の塀がとてもいい雰囲気です。

途中、夫婦福木と呼ばれているフク木もあります。「福木」という字だけも縁起がよさそうですが、それが対になっていると、ダブルでありがたいですね。
フク木の根元はこんなふうに複雑に絡み合っていて、まるで地域のコミュニティーのよう。そこから小さなフク木が出ています。子どもたちです。

フク木の間からは民家の色とりどりの花が顔をのぞかせています。ちょっと変わったハイビスカスも咲いていました。
沖縄では民家の周りはフク木が植えられているところが多いそうです。防風や防潮のためでしょう。
なかでも備瀬集落は沖縄でも最大級のフク木並木の密集地帯なのです。


「ブーゲンビリアの花が見事なので、写真をとらせていただいてもよろしいですか?」
庭先で掃除している奥様にたずねたところ、箒で掃いていた手を止め、屏風(ひんぷん)の後ろに隠れて下さいました。
お忙しいところ、すみませんでした。

沖縄の伝統的家屋には、正門と母屋の間に「屏風(ひんぷん)」と呼ばれる目隠しの塀があります。
沖縄の魔物は角を曲がるのが苦手なため、直進して入ってこないように魔除けの意味もあるそうです。
中国由来ですが、風は通しても魔物は通さないということですね。屋根の上からはシ-サーが見張っています。

漆喰で固められた赤瓦は、よく見ると微妙な色の違いがあって、独特のリズムを生んでいます。
このお宅にには芭蕉の木もありますね。ちなみにフク木は芭蕉布の黄色の染料としても利用されているのです。
「この先、まっすぐ進むとビーチがあるよ。」
尋ねもしないのに、庭の中からおばあさんが教えてくれました。ありがとうございます。
備瀬ビーチに出ました。ここからも伊江島タッチューが見えます。
防波堤の上の道からホテルに戻ります。

道沿いには珊瑚を積んでこしらえた花壇に色とりどりの花が咲いています。白い貝のアクセントがグッドです。
ホテルのそばの並木通りの入口の付近には水牛車の牛が朝食の最中でした。

ここは本土でありながら竹富島の雰囲気も味わえるおすすめスポットです。ホテルのスタッフの話では平均的には15~30分くらいで戻られる方が多いそうですが、僕たちはのんびりしていたのでしょうか、備瀬ビーチからは急ぎ足で戻ったのに40分以上かかってしまいました。水牛車を利用したら別の視点で見ることが出来たかもしれません。
(つづく)
沖縄「海洋博公園・美ら海水族館」 芭蕉布をめぐる旅⑦
沖縄「琉宮城蝶々園&おきなわ郷土村・三線体験」 芭蕉布をめぐる旅⑨
朝6:15、ホテルの窓から。エメラルドビーチ、沖に見えるのは伊江島タッチュー。
ちょっと曇り空です。
ホテル オリオン モトブ リゾート&スパは1年ほど前に出来たばかりの新しいホテルです。
プールもあるし、エメラルドビーチも目の前なのですが、ビーチの利用時間は8:00からなので早朝散歩も出来ません。しかし備瀬フク木並木まで徒歩3分の立地なのです。
2Fの朝食会場の大きな窓側の円卓から伊江島タッチューを眺めながら食事は格別。
今帰仁城跡も近く、北部観光の拠点に便利です。泊まるだけにはホント惜しいホテルでした。

朝食をすませ、9:00、備瀬フク木並木通りに向かいます。
朝の清々しい空気の中、美しい緑と掃き清められた白い砂の並木道を行きます。
厚みとツヤのある、明るい色合いの葉っぱです。民家の塀がとてもいい雰囲気です。


途中、夫婦福木と呼ばれているフク木もあります。「福木」という字だけも縁起がよさそうですが、それが対になっていると、ダブルでありがたいですね。
フク木の根元はこんなふうに複雑に絡み合っていて、まるで地域のコミュニティーのよう。そこから小さなフク木が出ています。子どもたちです。


フク木の間からは民家の色とりどりの花が顔をのぞかせています。ちょっと変わったハイビスカスも咲いていました。
沖縄では民家の周りはフク木が植えられているところが多いそうです。防風や防潮のためでしょう。
なかでも備瀬集落は沖縄でも最大級のフク木並木の密集地帯なのです。




「ブーゲンビリアの花が見事なので、写真をとらせていただいてもよろしいですか?」
庭先で掃除している奥様にたずねたところ、箒で掃いていた手を止め、屏風(ひんぷん)の後ろに隠れて下さいました。
お忙しいところ、すみませんでした。


沖縄の伝統的家屋には、正門と母屋の間に「屏風(ひんぷん)」と呼ばれる目隠しの塀があります。
沖縄の魔物は角を曲がるのが苦手なため、直進して入ってこないように魔除けの意味もあるそうです。
中国由来ですが、風は通しても魔物は通さないということですね。屋根の上からはシ-サーが見張っています。

漆喰で固められた赤瓦は、よく見ると微妙な色の違いがあって、独特のリズムを生んでいます。
このお宅にには芭蕉の木もありますね。ちなみにフク木は芭蕉布の黄色の染料としても利用されているのです。
「この先、まっすぐ進むとビーチがあるよ。」
尋ねもしないのに、庭の中からおばあさんが教えてくれました。ありがとうございます。
備瀬ビーチに出ました。ここからも伊江島タッチューが見えます。
防波堤の上の道からホテルに戻ります。


道沿いには珊瑚を積んでこしらえた花壇に色とりどりの花が咲いています。白い貝のアクセントがグッドです。


ホテルのそばの並木通りの入口の付近には水牛車の牛が朝食の最中でした。

ここは本土でありながら竹富島の雰囲気も味わえるおすすめスポットです。ホテルのスタッフの話では平均的には15~30分くらいで戻られる方が多いそうですが、僕たちはのんびりしていたのでしょうか、備瀬ビーチからは急ぎ足で戻ったのに40分以上かかってしまいました。水牛車を利用したら別の視点で見ることが出来たかもしれません。
(つづく)
沖縄「海洋博公園・美ら海水族館」 芭蕉布をめぐる旅⑦
沖縄「琉宮城蝶々園&おきなわ郷土村・三線体験」 芭蕉布をめぐる旅⑨
23.2015
沖縄「海洋博公園・美ら海水族館」 芭蕉布をめぐる旅⑦
4月21日「沖縄 芭蕉布をめぐる旅」の2日目、「ひめゆりの塔」を14時過ぎに出発し、夏川りみさんのCDをBGMに、高速道路で本部半島を目指しました。
沖縄の高速道路は遮音壁がありません。流れるような車窓の風景を楽しむこと約2時間、宿泊先のホテル オリオン モトブリゾート&スパに到着。荷物を預けてサンダルに履き替えて、海洋博公園へGo!ジャンボ観光タクシーとはここでお別れ(といっても明日も利用しますが…)。
美ら海水族館に行く前に海洋博公園を散歩。よく整備された美しい公園でした。デイゴの木もありましたが、残念ながら花は咲いていませんでした。しかし青い海を背景に蝶や赤いハイビスカスを楽しむことができました。

美ら海水族館のシンボル、ジンベイザメ。16時以降は比較的空いていて料金も割安。
17時からは「黒潮の海(1F大水槽)」でジンベイザメの食事タイム。縦になってプランクトンやオキアミなどを食します。

17時半からは「黒潮の海(1F大水槽)」を上から見ることもできます。17:45頃から他の魚たちの食事タイムでした。

他にも沢山の種類の魚がいます。

哺乳類のジュゴンやイルカ。
特にイルカは人なつっこくて、水槽のガラスの前に立つと近寄ってきてくれ、ハイ、ポーズ。
イルカショーの仕事はとっくに終わっていたのに、サービスしてくれました。
ジュゴンはオスとメスはそれぞれ別のプールに分けられていました。

この日の日没は18:56頃。それに合わせて美ら海水族館の裏のビーチに出ました。
夕日の方に見えるのは「伊江島 城山(タッチュー)」。とても特徴のある形の島です。
近くにあるようにみえますが、9kmも離れているそうです。標高172mの岩山で、ここも御嶽(ウタキ)です。タッチューの元々の意味は「先の尖っているのもの」。
ここからサンセットを眺めながらエメラルド・ビーチをぬけて、ホテルのある備瀬の並木道へ向いました。

当初、サンセットを見ながら備瀬ビーチまで散策し、備瀬フク木並木通りを抜けてホテルまで戻る予定でしたが、残念ながらちょっと雲が多めでした。夕陽が期待できないので、フク木並木通りをは翌朝に持ち越しました。

ホテル オリオン モトブリゾート&スパは出来て1年ほどの新しいホテル。夕食は屋外ではありませんが、バーベキューにしました。
(つづく)
沖縄「ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館」 芭蕉布をめぐる旅⑥
沖縄「備瀬フク木並木通り」 芭蕉布をめぐる旅⑧
沖縄の高速道路は遮音壁がありません。流れるような車窓の風景を楽しむこと約2時間、宿泊先のホテル オリオン モトブリゾート&スパに到着。荷物を預けてサンダルに履き替えて、海洋博公園へGo!ジャンボ観光タクシーとはここでお別れ(といっても明日も利用しますが…)。
美ら海水族館に行く前に海洋博公園を散歩。よく整備された美しい公園でした。デイゴの木もありましたが、残念ながら花は咲いていませんでした。しかし青い海を背景に蝶や赤いハイビスカスを楽しむことができました。


美ら海水族館のシンボル、ジンベイザメ。16時以降は比較的空いていて料金も割安。
17時からは「黒潮の海(1F大水槽)」でジンベイザメの食事タイム。縦になってプランクトンやオキアミなどを食します。


17時半からは「黒潮の海(1F大水槽)」を上から見ることもできます。17:45頃から他の魚たちの食事タイムでした。


他にも沢山の種類の魚がいます。


哺乳類のジュゴンやイルカ。
特にイルカは人なつっこくて、水槽のガラスの前に立つと近寄ってきてくれ、ハイ、ポーズ。
イルカショーの仕事はとっくに終わっていたのに、サービスしてくれました。
ジュゴンはオスとメスはそれぞれ別のプールに分けられていました。



この日の日没は18:56頃。それに合わせて美ら海水族館の裏のビーチに出ました。
夕日の方に見えるのは「伊江島 城山(タッチュー)」。とても特徴のある形の島です。
近くにあるようにみえますが、9kmも離れているそうです。標高172mの岩山で、ここも御嶽(ウタキ)です。タッチューの元々の意味は「先の尖っているのもの」。
ここからサンセットを眺めながらエメラルド・ビーチをぬけて、ホテルのある備瀬の並木道へ向いました。


当初、サンセットを見ながら備瀬ビーチまで散策し、備瀬フク木並木通りを抜けてホテルまで戻る予定でしたが、残念ながらちょっと雲が多めでした。夕陽が期待できないので、フク木並木通りをは翌朝に持ち越しました。

ホテル オリオン モトブリゾート&スパは出来て1年ほどの新しいホテル。夕食は屋外ではありませんが、バーベキューにしました。
(つづく)
沖縄「ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館」 芭蕉布をめぐる旅⑥
沖縄「備瀬フク木並木通り」 芭蕉布をめぐる旅⑧
20.2015
昨日はヌーヴェルあばんせでラテン・ライブでした。
昨日はヌーヴェルあばんせでラテン・ライブでした。
ヴォーカルのドリィ・ケイさん、木暮 あいさんとは初共演。 ピアノの中上香代子さんとパーカッションの佐藤英樹さんのサポート。
木暮 あいさんは以前お客様として会場に来てくださっていた方。ラテンのリズムにのって楽しいステージでした。
ドリィ・ケイさんはジャズ・ヴォーカルでありながら、シャンソンから童謡まで歌いこなせる方。ジャズだけだと英語ばかりになってしまうから…と、お客様の好みに柔軟に対応できる歌い手さんです。
僕は五月のライブなので、「五月のパリが好き」でスタート。 1・2番は日本語、3番だけフランス語にしてみました。シャンソンでありながら、ジャズアレンジで演奏されることの多い曲です。
それからブラジル民話「海のうなるわけ」を題材に、自ら作詞・作曲した「ラビスメナの嘆き」 と続き、カンツォーネの「ヴォラーレ」で第1ステージは終了。
第2ステージはドリィ・ケイさんは第1ステージとは打って変わってノリノリの元気な曲。それでも最後はしっとりと「見上げてごらん 夜の星を」を英語と日本語のジャズ・バージョンで歌いあげてくれました。
僕は久々にカッチーニの「アヴェ・マリア」をルンバ・フラメンカのリズムで歌い、次に「スペイン」。最後は最近よく歌っているラテンのボレロ「サボール・ア・ミ」でしっとりと締めくくってみました。
とにかくベテランの実力派揃いのステージで、僕自身もいい刺激を受け、白熱した演奏ができました。忘れられない日になるかもしれません!
来月6月もラテンの日に出演いたします。どうぞお楽しみに。
植木職人をしている友人から里子にいただいたバラが10日前から咲き始めました。今も次々に咲いています。

ヴォーカルのドリィ・ケイさん、木暮 あいさんとは初共演。 ピアノの中上香代子さんとパーカッションの佐藤英樹さんのサポート。
木暮 あいさんは以前お客様として会場に来てくださっていた方。ラテンのリズムにのって楽しいステージでした。
ドリィ・ケイさんはジャズ・ヴォーカルでありながら、シャンソンから童謡まで歌いこなせる方。ジャズだけだと英語ばかりになってしまうから…と、お客様の好みに柔軟に対応できる歌い手さんです。
僕は五月のライブなので、「五月のパリが好き」でスタート。 1・2番は日本語、3番だけフランス語にしてみました。シャンソンでありながら、ジャズアレンジで演奏されることの多い曲です。
それからブラジル民話「海のうなるわけ」を題材に、自ら作詞・作曲した「ラビスメナの嘆き」 と続き、カンツォーネの「ヴォラーレ」で第1ステージは終了。
第2ステージはドリィ・ケイさんは第1ステージとは打って変わってノリノリの元気な曲。それでも最後はしっとりと「見上げてごらん 夜の星を」を英語と日本語のジャズ・バージョンで歌いあげてくれました。
僕は久々にカッチーニの「アヴェ・マリア」をルンバ・フラメンカのリズムで歌い、次に「スペイン」。最後は最近よく歌っているラテンのボレロ「サボール・ア・ミ」でしっとりと締めくくってみました。
とにかくベテランの実力派揃いのステージで、僕自身もいい刺激を受け、白熱した演奏ができました。忘れられない日になるかもしれません!
来月6月もラテンの日に出演いたします。どうぞお楽しみに。
植木職人をしている友人から里子にいただいたバラが10日前から咲き始めました。今も次々に咲いています。

19.2015
今日はヌーヴェルあばんせでライブです。
明日と言いたいところですが、日付が変わってしまいました。今日はヌーヴェルあばんせでライブです。
沖縄のブログは中断して、今、新曲の譜面を書いております。いつものことながらKeyやサイズを決めるのがぎりぎりなので、作業が直前になってしまうのです。
ラテンの日なので、ピアノの中上香代子さんとパーカッションの佐藤英樹さんのサポート。そしてヴォーカルのドリィ・ケイさん、木暮 あい さんとは初めてご一緒させていただきます。
五月のライブなので、春らしい曲がいいですね。どうぞ宜しくお願いします。
沖縄のブログは中断して、今、新曲の譜面を書いております。いつものことながらKeyやサイズを決めるのがぎりぎりなので、作業が直前になってしまうのです。
ラテンの日なので、ピアノの中上香代子さんとパーカッションの佐藤英樹さんのサポート。そしてヴォーカルのドリィ・ケイさん、木暮 あい さんとは初めてご一緒させていただきます。
五月のライブなので、春らしい曲がいいですね。どうぞ宜しくお願いします。
17.2015
沖縄「ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館」 芭蕉布をめぐる旅⑥
「沖縄 芭蕉布をめぐる旅」の2日目。「おきなわワールド」から車で20分くらいのところに「ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館」はあります。
歌の「芭蕉布」と直接関係はないと思われますが、初めての沖縄旅行ならまずはここで慰霊するべきだと考えた次第です。
ひめゆりの塔と慰霊碑、その間に沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡があります。
その前で観光タクシーの運転手の方が簡潔に説明してくれました。
あまり滞在時間がとれないので、少し予習してきたのですが、現地の方の声で聴くとやはり胸にくるものがあります。

ひめゆりの塔と慰霊碑 沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡
ひめゆり平和祈念資料館には沖縄戦の経過や従軍の様子などが展示されていましたが、生存者の手記に目を通すならば、かなり時間に余裕を持つとよいでしょう。
「沖縄師範学校女子部」と「沖縄県立第一高等女学校」の生徒222名、教師18名。
第三外科壕は、黄燐手榴弾などの攻撃を受け、壕にいた96名(うち教師5名・生徒46名)のうち、87名が死亡。
ひとりひとりの遺影を見ていると、単にこの時代にこの地にい合わせたのが悲運だとは片付けられない、何とも言えない、やりきれない気持ちになりました。
戦争は突然やってくるものではありません。徐々に巻き込まれていったのです。
そして、誤った認識や教育がなければ、助かっていた命もあるのです。
今このブログの更新している際も、重苦しい気持ちでいっぱいです。
(つづく)
沖縄「ガンガラーの谷ツアー 」 芭蕉布をめぐる旅⑤
沖縄「海洋博公園・美ら海水族館」 芭蕉布をめぐる旅⑦
歌の「芭蕉布」と直接関係はないと思われますが、初めての沖縄旅行ならまずはここで慰霊するべきだと考えた次第です。
ひめゆりの塔と慰霊碑、その間に沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡があります。
その前で観光タクシーの運転手の方が簡潔に説明してくれました。
あまり滞在時間がとれないので、少し予習してきたのですが、現地の方の声で聴くとやはり胸にくるものがあります。


ひめゆりの塔と慰霊碑 沖縄陸軍病院第三外科が置かれた壕の跡
ひめゆり平和祈念資料館には沖縄戦の経過や従軍の様子などが展示されていましたが、生存者の手記に目を通すならば、かなり時間に余裕を持つとよいでしょう。
「沖縄師範学校女子部」と「沖縄県立第一高等女学校」の生徒222名、教師18名。
第三外科壕は、黄燐手榴弾などの攻撃を受け、壕にいた96名(うち教師5名・生徒46名)のうち、87名が死亡。
ひとりひとりの遺影を見ていると、単にこの時代にこの地にい合わせたのが悲運だとは片付けられない、何とも言えない、やりきれない気持ちになりました。
戦争は突然やってくるものではありません。徐々に巻き込まれていったのです。
そして、誤った認識や教育がなければ、助かっていた命もあるのです。
今このブログの更新している際も、重苦しい気持ちでいっぱいです。
(つづく)
沖縄「ガンガラーの谷ツアー 」 芭蕉布をめぐる旅⑤
沖縄「海洋博公園・美ら海水族館」 芭蕉布をめぐる旅⑦
17.2015
沖縄「ガンガラーの谷ツアー 」 芭蕉布をめぐる旅⑤
4月21日(火)那覇バスターミナルの「仲島の大石(ウフイシ)」を後にして、観光タクシーに乗ること40分、我々は更なるパワースポットを求めて「おきなわワールド&ガンガラーの谷」にやって来ました。もちろん「大主(ウフシュ)」ガジュマル」目当てです。(9:20)
歌の「芭蕉布」とは一見関係なさそうでしょうが、自然崇拝の信仰は「我した島 沖縄」の土台であり背景です。
おきなわワールドのガジュマルの前で記念撮影。どうってことない写真ですが、けっこう嬉しそう…。

10:00からのガンガラーの谷 ツアーを予約していたのですが、早く着いたのでひとつ前のツアーに入れてもらえました。いきなりラッキーでした。これも先にパワースポットに寄って来たおかげでしょうか?
集合場所はケイブカフェ。サキタリ洞といい、洞窟内がカフェスペースになっています。夏でも涼しそう。
藤井フミヤさんもライブを行った場所で、ガンガラーの谷 ツアーの出発地点です。

いただいたさんぴん茶を手に、いよいよ亜熱帯の森のガイドツアー、生命の神秘をたどる旅の始まりです。
天気が心配でしたが、曇り空の方が緑がきれいで、粛々とした探検ムードになり、かえって好都合でした。
クワズイモの群落、台湾原産の巨竹、おなかがたっぷりしたトックリヤシモドキなどが見られました。

クワズイモの群落 台湾原産の巨竹 トックリヤシモドキ
雄樋川に沿って歩いてくると、「母神」の立て札があり、なにやら洞窟が…。
イナグ洞というそうです。

イナグ洞 イナグ洞 雄樋川のせせらぎ
女性の神様でイナグとはウチナーグチで女のこと。安産や良縁への祈りが捧げられています。
崩落の危険があるため中には入れませんが、お尻と乳房の形をした鍾乳石があるそうです。

さらに雄樋川沿いを進むと、イキガ洞という大きな鍾乳洞があります。
今度は男の神様で、命の誕生、子どもたちの成長への祈りが捧げられています。
ランタンを手に進みます。

イキガ洞 イキガ洞
このイキガ洞・イナグ洞という二つの洞窟一帯は種之子御嶽(サニヌシーウタキ)と呼ばれる聖地で、古代から来訪者が祈りを捧げる御願所(ウガンジュ)になっているのです。

トンネルをくぐると目の前に見えるのは「大主(ウフシュ)ガジュマル」です。
天然の鍾乳洞が崩れ落ちてできた谷間の、崖の上から垂れ下がった巨大な鬚のような気根が圧巻。
光を遮るように立つその姿は、圧倒的オーラを放っています。推定樹齢は150歳だそう…。

ガジュマルは歩く木と言われているそうです。古い気根が枯れると、鬚のような新しい気根が太くなり、数十年かけて衰退と再生を繰り返すうちに、元の場所から移動してしまうのです。
大主(ウフシュ)ガジュマルのトンネルをくぐると、天然の鍾乳洞が崩れ落ちてできた谷間が現わになります。
その傍らには、な、なんとお墓が…。
今でこそ遺骨は移していますが、ときどき御家族の方がお墓参りにいらっしゃるそうです。もちろんツアー代金はいらないそう。さすが沖縄、凄い…。

ツアーの最後は武芸洞。現在も発掘調査が行われています。
衰退と再生、男女の子宝の神様とお墓が隣合わせになったこのガンガラーの谷は、まさに生命の神秘をたどるパワースポットですね。
ツアーの後におきなわワールドに戻りました。
園内は大勢の観光客で活気に満ちていました。


ドレスの裾のように根が広がったガジュマルを発見。またアカタコノキなど南国ならではの植物もありました。

沖縄そばを食べてから、12:30から始まるエイサーショーを見ました。
三線や太鼓を演奏しながら激しく舞うステージは見応え充分。
ステージの半ばでは、ウシュマイ(お爺)とウミー(お婆)のお面をかぶった二人が裏声で珍問答するアンガマや
獅子舞も披露されるなど盛り沢山。どうやら獅子に噛まれると縁起がよいようです。
アンガマとは石垣島独特のお盆行事です。ウシュマイ(お爺)とウミー(お婆)は「あの世からの使者」として現れ、
珍問答して笑わせてくれます。
そうして旧盆の三日間を楽しく陽気に過ごすと、東の海の理想郷「ニライカナイ」へ帰っていくのです。
13:10におきなわワールドを出発し、「ひめゆりの塔・平和祈念資料館」に向かいました。
(つづく)
沖縄「仲島の大石(なかしまのウフイシ)」 芭蕉布をめぐる旅④
沖縄「ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館」 芭蕉布をめぐる旅⑥
歌の「芭蕉布」とは一見関係なさそうでしょうが、自然崇拝の信仰は「我した島 沖縄」の土台であり背景です。
おきなわワールドのガジュマルの前で記念撮影。どうってことない写真ですが、けっこう嬉しそう…。


10:00からのガンガラーの谷 ツアーを予約していたのですが、早く着いたのでひとつ前のツアーに入れてもらえました。いきなりラッキーでした。これも先にパワースポットに寄って来たおかげでしょうか?
集合場所はケイブカフェ。サキタリ洞といい、洞窟内がカフェスペースになっています。夏でも涼しそう。
藤井フミヤさんもライブを行った場所で、ガンガラーの谷 ツアーの出発地点です。


いただいたさんぴん茶を手に、いよいよ亜熱帯の森のガイドツアー、生命の神秘をたどる旅の始まりです。
天気が心配でしたが、曇り空の方が緑がきれいで、粛々とした探検ムードになり、かえって好都合でした。
クワズイモの群落、台湾原産の巨竹、おなかがたっぷりしたトックリヤシモドキなどが見られました。



クワズイモの群落 台湾原産の巨竹 トックリヤシモドキ
雄樋川に沿って歩いてくると、「母神」の立て札があり、なにやら洞窟が…。
イナグ洞というそうです。



イナグ洞 イナグ洞 雄樋川のせせらぎ
女性の神様でイナグとはウチナーグチで女のこと。安産や良縁への祈りが捧げられています。
崩落の危険があるため中には入れませんが、お尻と乳房の形をした鍾乳石があるそうです。

さらに雄樋川沿いを進むと、イキガ洞という大きな鍾乳洞があります。
今度は男の神様で、命の誕生、子どもたちの成長への祈りが捧げられています。
ランタンを手に進みます。


イキガ洞 イキガ洞
このイキガ洞・イナグ洞という二つの洞窟一帯は種之子御嶽(サニヌシーウタキ)と呼ばれる聖地で、古代から来訪者が祈りを捧げる御願所(ウガンジュ)になっているのです。


トンネルをくぐると目の前に見えるのは「大主(ウフシュ)ガジュマル」です。
天然の鍾乳洞が崩れ落ちてできた谷間の、崖の上から垂れ下がった巨大な鬚のような気根が圧巻。
光を遮るように立つその姿は、圧倒的オーラを放っています。推定樹齢は150歳だそう…。


ガジュマルは歩く木と言われているそうです。古い気根が枯れると、鬚のような新しい気根が太くなり、数十年かけて衰退と再生を繰り返すうちに、元の場所から移動してしまうのです。
大主(ウフシュ)ガジュマルのトンネルをくぐると、天然の鍾乳洞が崩れ落ちてできた谷間が現わになります。
その傍らには、な、なんとお墓が…。
今でこそ遺骨は移していますが、ときどき御家族の方がお墓参りにいらっしゃるそうです。もちろんツアー代金はいらないそう。さすが沖縄、凄い…。


ツアーの最後は武芸洞。現在も発掘調査が行われています。

衰退と再生、男女の子宝の神様とお墓が隣合わせになったこのガンガラーの谷は、まさに生命の神秘をたどるパワースポットですね。
ツアーの後におきなわワールドに戻りました。
園内は大勢の観光客で活気に満ちていました。



ドレスの裾のように根が広がったガジュマルを発見。またアカタコノキなど南国ならではの植物もありました。



沖縄そばを食べてから、12:30から始まるエイサーショーを見ました。
三線や太鼓を演奏しながら激しく舞うステージは見応え充分。
ステージの半ばでは、ウシュマイ(お爺)とウミー(お婆)のお面をかぶった二人が裏声で珍問答するアンガマや
獅子舞も披露されるなど盛り沢山。どうやら獅子に噛まれると縁起がよいようです。
アンガマとは石垣島独特のお盆行事です。ウシュマイ(お爺)とウミー(お婆)は「あの世からの使者」として現れ、
珍問答して笑わせてくれます。
そうして旧盆の三日間を楽しく陽気に過ごすと、東の海の理想郷「ニライカナイ」へ帰っていくのです。
13:10におきなわワールドを出発し、「ひめゆりの塔・平和祈念資料館」に向かいました。
(つづく)
沖縄「仲島の大石(なかしまのウフイシ)」 芭蕉布をめぐる旅④
沖縄「ひめゆりの塔・ひめゆり平和祈念資料館」 芭蕉布をめぐる旅⑥
17.2015
沖縄「仲島の大石(なかしまのウフイシ)」 芭蕉布をめぐる旅④
4月21日(火)「沖縄 芭蕉布をめぐる旅」の2日目、ジャンボタクシーで観光。沖縄ナハナホテル&スパを8:20に出発。旭橋付近の那覇バスターミナルの構内に「仲島の大石(なかしまのウフイシ)」はあります。上に生えているのはアコウなどの植物で、気根によって抱き込まれています。
高さ約6m、中央部の周囲はなんと約25mもある琉球石灰岩で、昭和33年3月14日に沖縄県指定史跡、天然記念物に指定されました。
ここを「芭蕉布をめぐる旅」のルートに選んだのは、葛飾北斎の『琉球八景』の「中島蕉園」に仲島の大石が描かれているからです。「蕉園」つまり「芭蕉園」です。北斎の「中島蕉園」では、この大石の向こうにある石垣に囲まれた屋敷の間から沢山の芭蕉の葉が覗いている風景が描かれています。
ところが葛飾北斎の『琉球八景』には種本があったのです。
1756年、中国からの使節団一行が琉球に向かう途中、久米島沖で難破しましたが、
島民によって救助され、その後無事琉球に到着することができました。
やがて中国へ帰国し、1757年に報告書が『琉球国志略』としてまとめられました。
この『琉球国志略』は、琉球王国第二尚氏王朝の第14代国王:尚穆王(しょうぼくおう)を
冊封(さっぽう)した時の副使である周煌(しゅうこう)によって、
230日に及ぶ滞琉中の見聞と読書を参考に編纂されたものなのです。
その75年後の1832(天保3)年、『琉球国志略』が江戸に伝わり、
収録されている「球陽八景図((きゅうようはっけいず)」
≪泉崎夜月・臨海潮声・久米村竹籬・龍洞松濤・筍崖夕照・長虹秋霽・城嶽霊泉・中島蕉園≫が
葛飾北斎の目に触れることになりました。北斎はその使録をもとに『琉球八景』を描いたのでした。
北斎が沖縄に行ったという記録は残っていないそうです。
元図は墨絵でしたが、北斎は色彩を施し、北斎らしい魅力にあふれた作品に仕上げました。
本来あるはずのない富士山が描かれているのは北斎のユーモアかと思っていたら、
面白いことに、中国人の絵師の描いた元図にも富士山らしき山が描かれていたのです。
しかし、周煌の『琉球国志略』の「球陽八景図」(※球陽とは、琉球の別名、美名)は、1733年に出版された、徐葆光(じよほうこう)の『奉使琉球詩 舶中集ほうしりゅうきゅうし はくちゅうしゅう)』の「院旁八景( いんぼうはっけい)」という漢詩が元になっていると言われています。
徐葆光(1671~1740)は1719年に冊封副使として来流し、冊封使録『中山伝信録』を残したことで知られていますが、それとは別に漢詩集『奉使琉球詩』400余首を残していたのです。
まとめると、下記の順です。
徐 葆光『奉使琉球詩 舶中集』の「院旁八景」(漢詩:1733年)
↓
周煌『琉球国志略』の「球陽八景図」(挿絵:1757年)「中山八景」ともいう。
↓
葛飾北斎『琉球八景』(浮世絵:1832年)
『琉球國志略」の卷五に下記の記述がありました。周煌が徐葆光の漢詩「中島蕉園」を引用したものです。
琉球國志略/卷五
中島:在泉崎南,與奧山隔湖遙對。昔多蕉樹,今廢;為中山八景之一(徐葆光「中島蕉園」詩:『蕉影墻頭合,人家住綠雲;機聲織明月,幅幅冰綃紋』)。
中島:泉崎の南に在り、奥山と湖を隔てて遥かに対す。昔は蕉樹多く、今虚す。中山八景の一と為す。
徐葆光「中島蕉園」 詩:
蕉影墻頭合 (蕉影、墻頭に合し)
人家住緑雲 (人家、緑雲に住す)
機聲織明月 (機聲、明月に織り)
幅幅冰綃紋 (幅幅、綃紋を冰らす)
芭蕉の葉影が石垣の上で一つに重なり合い
人家はまるで緑の雲に囲まれているかのよう
機織りの音が明月の中に響き
布はどれも生絹を氷らせたよう
(日本語解釈:KEIJI)
「幅幅冰綃紋」をどう解釈するか悩みました。
「幅幅」は「布」。重ねているので、「どれもみな」という具合に強調されています。
「綃紋」は「生絹」で、生糸で織った練られていない絹織物。
「冰」は「氷」です。
芭蕉布のことを絹織物と比喩したのか、或いは、芭蕉布ではなくて絹織物を織っていたのか…?
那覇市歴史博物館の方にもご協力いただいて、上記の漢詩を解釈してみました。
中島蕉園は蕉園といっても王朝が管理する大規模な蕉園ではなく、普通の民家だったようです。
芭蕉布は1反織るのに約200本もの木が必要です。ですから、皆で分け合って作っていたのです。
那覇市歴史博物館の方によると、芭蕉布の中にも「オオバファー」と言われる、絹織物と見紛うばかりの生地があり、そのイメージではないか、また、絹織物も首里では織られていたが、庶民のものではなかったことから、芭蕉布のことを歌ったものだろう、とのことでした。
僕はこう考えました。
「氷らす」とは、液体を冷やして個体にすること。転じて、生糸の状態から反物の形に形成すること。
生糸で織った練られていない絹織物は、精練されたものに比べて固く張りがあります。そこで、細い繊維を使用した、高官が使用するような上質の芭蕉布を絹織物のように喩えた。
しかも「冰(氷)」という文字で、芭蕉布が「涼しげである」と表現したかったのではないか。
ところで『使琉球記/卷四』にも「中島蕉園」と「文筆峯」と呼ばれる大石についての記述がありました。
使琉球記/卷四
六月二十三日甲戌,晴,風轉南。偕介山遊泉崎。登中島,島對奧山,隔漫湖村。西有園曰蕉園,中山八景所謂「中島蕉園」也;徐澄齋亟稱之。全、周二公時,巳廢;今歸馬氏。蕉盡荒落,然境自清幽,具林泉氣。出門折而西,有礁孤立,高二丈,圍可五丈;重叠而上,小樹攢石頂。土人云係久米風水,所謂「文筆峯」也。歸路久米,憩倪氏宅。宅前有臺,宜遠眺。內魚池二,各圍丈餘;叠石峯其中如芙蓉,饒奇花異卉。
中島蕉園の門を出て西に曲がると、高さ二丈(6m)、周囲五丈15mばかりの孤立した礁が有る。重なり合い、石頂には小さな樹が集まっている。地元の人が云うには、久米風水に関係している、いわゆる「文筆峯」である。
※文筆峯(峰)とは海南島東北部の定安平原に位置する山で海南島屈指の吉祥地。風水宝地(風水的に良い地)。
高さ6mは合っていますが、周囲が随分違いますね。どの部分を測ったのでしょう?

説明にある通り、岩の下方は波に浸食 されてくぼんだ「ノッチ」と呼ばれる跡があり、昔このあたりが海岸であったことを物語っています。琉球石灰岩の多い南の島によく見られます。
かつての那覇は浅い入り江とその入口をふさぐように横たわる浮島と呼ばれる島でしたが、かつての那覇港から首里まで干潟のようなとちを歩くのは不便でした。
そこで、琉球王国の第一尚氏王統・第5代国王:尚金福王は1451年、翌年の中国王朝からの冊封使を迎えるにあたり、浮島と首里とを結ぶ堤防と橋からなる道路を建設しました。
当初は「浮道」と呼ばれていましたが、やがて1633年、冊封使の杜三策の従客:胡靖が「遠望すれば長虹の如し」と述べたことから「長虹堤」と呼ばれるようになりました。(現在のゆいレール美栄橋駅付近)
『琉球八景』の「長虹秋霽(ちょうこうしゅうせい)」に描かれています。
ちょっと調べてみたら、思わぬ歴史の勉強になりました。
(つづく)
沖縄「国際通りで三線と民謡ライブ」 芭蕉布をめぐる旅③
沖縄「ガンガラーの谷ツアー 」 芭蕉布をめぐる旅⑤

高さ約6m、中央部の周囲はなんと約25mもある琉球石灰岩で、昭和33年3月14日に沖縄県指定史跡、天然記念物に指定されました。
ここを「芭蕉布をめぐる旅」のルートに選んだのは、葛飾北斎の『琉球八景』の「中島蕉園」に仲島の大石が描かれているからです。「蕉園」つまり「芭蕉園」です。北斎の「中島蕉園」では、この大石の向こうにある石垣に囲まれた屋敷の間から沢山の芭蕉の葉が覗いている風景が描かれています。
ところが葛飾北斎の『琉球八景』には種本があったのです。
1756年、中国からの使節団一行が琉球に向かう途中、久米島沖で難破しましたが、
島民によって救助され、その後無事琉球に到着することができました。
やがて中国へ帰国し、1757年に報告書が『琉球国志略』としてまとめられました。
この『琉球国志略』は、琉球王国第二尚氏王朝の第14代国王:尚穆王(しょうぼくおう)を
冊封(さっぽう)した時の副使である周煌(しゅうこう)によって、
230日に及ぶ滞琉中の見聞と読書を参考に編纂されたものなのです。
その75年後の1832(天保3)年、『琉球国志略』が江戸に伝わり、
収録されている「球陽八景図((きゅうようはっけいず)」
≪泉崎夜月・臨海潮声・久米村竹籬・龍洞松濤・筍崖夕照・長虹秋霽・城嶽霊泉・中島蕉園≫が
葛飾北斎の目に触れることになりました。北斎はその使録をもとに『琉球八景』を描いたのでした。
北斎が沖縄に行ったという記録は残っていないそうです。
元図は墨絵でしたが、北斎は色彩を施し、北斎らしい魅力にあふれた作品に仕上げました。
本来あるはずのない富士山が描かれているのは北斎のユーモアかと思っていたら、
面白いことに、中国人の絵師の描いた元図にも富士山らしき山が描かれていたのです。
しかし、周煌の『琉球国志略』の「球陽八景図」(※球陽とは、琉球の別名、美名)は、1733年に出版された、徐葆光(じよほうこう)の『奉使琉球詩 舶中集ほうしりゅうきゅうし はくちゅうしゅう)』の「院旁八景( いんぼうはっけい)」という漢詩が元になっていると言われています。
徐葆光(1671~1740)は1719年に冊封副使として来流し、冊封使録『中山伝信録』を残したことで知られていますが、それとは別に漢詩集『奉使琉球詩』400余首を残していたのです。
まとめると、下記の順です。
徐 葆光『奉使琉球詩 舶中集』の「院旁八景」(漢詩:1733年)
↓
周煌『琉球国志略』の「球陽八景図」(挿絵:1757年)「中山八景」ともいう。
↓
葛飾北斎『琉球八景』(浮世絵:1832年)
『琉球國志略」の卷五に下記の記述がありました。周煌が徐葆光の漢詩「中島蕉園」を引用したものです。
琉球國志略/卷五
中島:在泉崎南,與奧山隔湖遙對。昔多蕉樹,今廢;為中山八景之一(徐葆光「中島蕉園」詩:『蕉影墻頭合,人家住綠雲;機聲織明月,幅幅冰綃紋』)。
中島:泉崎の南に在り、奥山と湖を隔てて遥かに対す。昔は蕉樹多く、今虚す。中山八景の一と為す。
徐葆光「中島蕉園」 詩:
蕉影墻頭合 (蕉影、墻頭に合し)
人家住緑雲 (人家、緑雲に住す)
機聲織明月 (機聲、明月に織り)
幅幅冰綃紋 (幅幅、綃紋を冰らす)
芭蕉の葉影が石垣の上で一つに重なり合い
人家はまるで緑の雲に囲まれているかのよう
機織りの音が明月の中に響き
布はどれも生絹を氷らせたよう
(日本語解釈:KEIJI)
「幅幅冰綃紋」をどう解釈するか悩みました。
「幅幅」は「布」。重ねているので、「どれもみな」という具合に強調されています。
「綃紋」は「生絹」で、生糸で織った練られていない絹織物。
「冰」は「氷」です。
芭蕉布のことを絹織物と比喩したのか、或いは、芭蕉布ではなくて絹織物を織っていたのか…?
那覇市歴史博物館の方にもご協力いただいて、上記の漢詩を解釈してみました。
中島蕉園は蕉園といっても王朝が管理する大規模な蕉園ではなく、普通の民家だったようです。
芭蕉布は1反織るのに約200本もの木が必要です。ですから、皆で分け合って作っていたのです。
那覇市歴史博物館の方によると、芭蕉布の中にも「オオバファー」と言われる、絹織物と見紛うばかりの生地があり、そのイメージではないか、また、絹織物も首里では織られていたが、庶民のものではなかったことから、芭蕉布のことを歌ったものだろう、とのことでした。
僕はこう考えました。
「氷らす」とは、液体を冷やして個体にすること。転じて、生糸の状態から反物の形に形成すること。
生糸で織った練られていない絹織物は、精練されたものに比べて固く張りがあります。そこで、細い繊維を使用した、高官が使用するような上質の芭蕉布を絹織物のように喩えた。
しかも「冰(氷)」という文字で、芭蕉布が「涼しげである」と表現したかったのではないか。
ところで『使琉球記/卷四』にも「中島蕉園」と「文筆峯」と呼ばれる大石についての記述がありました。
使琉球記/卷四
六月二十三日甲戌,晴,風轉南。偕介山遊泉崎。登中島,島對奧山,隔漫湖村。西有園曰蕉園,中山八景所謂「中島蕉園」也;徐澄齋亟稱之。全、周二公時,巳廢;今歸馬氏。蕉盡荒落,然境自清幽,具林泉氣。出門折而西,有礁孤立,高二丈,圍可五丈;重叠而上,小樹攢石頂。土人云係久米風水,所謂「文筆峯」也。歸路久米,憩倪氏宅。宅前有臺,宜遠眺。內魚池二,各圍丈餘;叠石峯其中如芙蓉,饒奇花異卉。
中島蕉園の門を出て西に曲がると、高さ二丈(6m)、周囲五丈15mばかりの孤立した礁が有る。重なり合い、石頂には小さな樹が集まっている。地元の人が云うには、久米風水に関係している、いわゆる「文筆峯」である。
※文筆峯(峰)とは海南島東北部の定安平原に位置する山で海南島屈指の吉祥地。風水宝地(風水的に良い地)。
高さ6mは合っていますが、周囲が随分違いますね。どの部分を測ったのでしょう?


説明にある通り、岩の下方は波に浸食 されてくぼんだ「ノッチ」と呼ばれる跡があり、昔このあたりが海岸であったことを物語っています。琉球石灰岩の多い南の島によく見られます。
かつての那覇は浅い入り江とその入口をふさぐように横たわる浮島と呼ばれる島でしたが、かつての那覇港から首里まで干潟のようなとちを歩くのは不便でした。
そこで、琉球王国の第一尚氏王統・第5代国王:尚金福王は1451年、翌年の中国王朝からの冊封使を迎えるにあたり、浮島と首里とを結ぶ堤防と橋からなる道路を建設しました。
当初は「浮道」と呼ばれていましたが、やがて1633年、冊封使の杜三策の従客:胡靖が「遠望すれば長虹の如し」と述べたことから「長虹堤」と呼ばれるようになりました。(現在のゆいレール美栄橋駅付近)
『琉球八景』の「長虹秋霽(ちょうこうしゅうせい)」に描かれています。
ちょっと調べてみたら、思わぬ歴史の勉強になりました。
(つづく)
沖縄「国際通りで三線と民謡ライブ」 芭蕉布をめぐる旅③
沖縄「ガンガラーの谷ツアー 」 芭蕉布をめぐる旅⑤
13.2015
沖縄「国際通りで三線と民謡ライブ」 芭蕉布をめぐる旅③
4月20日(月)首里城公園で最後に「西(イリ)のアザナ」から那覇市街を眺めました。
「アザナ」とは、遠くを見渡すために設けられた物見台のことだそうです。

この後、国際通り沿いの三線と民謡ライブの居酒屋にタクシーで移動しました。
数々の民謡の居酒屋の中から、どこにするか非常に悩みましたが、「波照間 国際通り店」にしました。前日に20:00と21:00のライブに合わせて予約しておきました。
昔の沖縄の風土を感じさせてくれる内装です。もちろんライブも素敵で、料理も美味しかったです。最後はやはりみんなでカチャーシー。

ライブ終了後は、歩いて県庁前のパレットくもじにあるブルーシールに移動。
沖縄に駐留する米軍関係者に乳製品を供給するために、米軍基地内に設立された、アメリカ生まれの歴史あるアイスクリーム屋さんです。
毎月10日と20日は、シングルサイズの値段でトリプルが食べられる、直営店ならではのサービスが受けられるのです。
22:00の閉店間際に大勢おしかけて、すみませんでした。
この後、近くの沖縄ナハナ ホテル&スパに宿泊。寝るだけにはおしいくらい、とてもラグジュアリーな雰囲気のホテルでした。
翌日は観光タクシーで南部観光をして北部に移動します。
(つづく)
沖縄「首里城公園」 芭蕉布をめぐる旅②
沖縄「仲島の大石(なかしまのウフイシ)」 芭蕉布をめぐる旅④
「アザナ」とは、遠くを見渡すために設けられた物見台のことだそうです。

この後、国際通り沿いの三線と民謡ライブの居酒屋にタクシーで移動しました。
数々の民謡の居酒屋の中から、どこにするか非常に悩みましたが、「波照間 国際通り店」にしました。前日に20:00と21:00のライブに合わせて予約しておきました。
昔の沖縄の風土を感じさせてくれる内装です。もちろんライブも素敵で、料理も美味しかったです。最後はやはりみんなでカチャーシー。

ライブ終了後は、歩いて県庁前のパレットくもじにあるブルーシールに移動。
沖縄に駐留する米軍関係者に乳製品を供給するために、米軍基地内に設立された、アメリカ生まれの歴史あるアイスクリーム屋さんです。
毎月10日と20日は、シングルサイズの値段でトリプルが食べられる、直営店ならではのサービスが受けられるのです。
22:00の閉店間際に大勢おしかけて、すみませんでした。
この後、近くの沖縄ナハナ ホテル&スパに宿泊。寝るだけにはおしいくらい、とてもラグジュアリーな雰囲気のホテルでした。
翌日は観光タクシーで南部観光をして北部に移動します。
(つづく)
沖縄「首里城公園」 芭蕉布をめぐる旅②
沖縄「仲島の大石(なかしまのウフイシ)」 芭蕉布をめぐる旅④
12.2015
沖縄「首里城公園」 芭蕉布をめぐる旅②
4月20日(月)、首里金城町石畳道を1時間ほど散策して、首里殿内の前から首里城前までタクシーで移動。16:47到着。15分程度でした。
守礼門のお出迎え。扁額に「守禮之邦」と書かれています。

守礼門(しゅれいもん)
機内で軽食を摂っただけだったので、30~40分ほど軽く食事休憩しました。レストランのある首里杜館(すいむいかん)前にはシンボルツリーのような大きなガジュマルがありました。安心感を与えてくれる木ですね。

首里杜館(すいむいかん)前のガジュマル
琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録された、園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)です。この御嶽は国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した場所であることから、我々も旅の安全を祈るために訪れようと決めていました。

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
歓会門(かんかいもん)が見えてきました。先程の守礼門といい、本土の建築とは異なり、中国の城に近いですね。歓会門をくぐる時のアーチに切り取られた景観が印象的でした。

歓会門(かんかいもん)
その先には瑞泉門(ずいせんもん)が見えます。
瑞泉門の石段の下からは久慶門(きゅうけいもん)も見えます。女性の通用門として使用されていたそうです。

瑞泉門(ずいせんもん) 歓会門側から見た久慶門(きゅうけいもん)
瑞泉門をくぐって左手にある漏刻門(ろうこくもん)。「漏刻」とは中国語で「水時計」という意味。時を知らせる門です。
漏刻門の先には日影台(にちえいだい)や「万国津梁の鐘」のレプリカがあり、龍潭池(りゅうたんいけ)側が眺望出来ます。

漏刻門(ろうこくもん)
奉神門(ほうしんもん)、正殿のある御庭(うなー)へ続く最後の門です。3つの入り口があります。かつてはが身分の高い者が中央を利用していました。この先が有料エリアです。

奉神門(ほうしんもん)
いよいよ首里城 正殿。1429年に成立した琉球王朝の栄華が偲ばれます。
生憎の曇天で、本来の鮮やかさが写せなかったのが残念です。

首里城 正殿
現在、南殿・番所(なんでん・ばんどころ)は、王朝時代の美術工芸品などの展示室として利用されています。
その傍らにハイビスカスが咲いていました。沖縄に来てからは見慣れた花も、背景が変われば一風変わった絵になります。

書院(しょいん)。ここは写真OK。いままでの朱塗りの壁や柱とは異なり、和の趣です。

書院(しょいん)と庭園
琉球石灰岩とソテツと松などで構成された庭園。砂利が枯山水の趣です。

正殿内部の玉座(復元)です。後ほど紹介する正殿正面と同様に、両側に吽形と阿形の龍柱が配されています。
「中山世土(ちゅうざんせいど)」 「輯瑞球陽(しゅうずいきゅうよう)」 「永祚瀛壖(えいそえいぜん)」 と書かれた3つの扁額が掛けられていました。

正殿内部の玉座(復元)
戦後、わずかに残った首里城跡の遺構部分を見ることができます。

首里城跡の遺構部分
唐破風の妻飾。中央には火焔宝珠、両脇には金龍と瑞雲の彫刻、中央上部には龍頭が飾られています。左右の棟飾りも龍頭です。ひげが何とも言えない絶妙な形ですね。

首里城 正殿のライトアップ 唐破風妻飾

日没時刻からライトアップされます。できればトワイライトタイムの中でもダークブルーがとりわけ美しい「マジックアワー」に撮影したかったのですが、残念ながら正殿のエリアは19:00で閉園。
「西(イリ)のアザナ」からライトアップされた城内と那覇市街の夕景を眺め、後ろ髪を引かれる思いで首里城を後にしました。
この後はタクシーで国際通りに向かいます。
(つづく)
沖縄「首里金城町石畳道」 芭蕉布をめぐる旅①
沖縄「国際通りで三線と民謡ライブ」 芭蕉布をめぐる旅③
守礼門のお出迎え。扁額に「守禮之邦」と書かれています。

守礼門(しゅれいもん)
機内で軽食を摂っただけだったので、30~40分ほど軽く食事休憩しました。レストランのある首里杜館(すいむいかん)前にはシンボルツリーのような大きなガジュマルがありました。安心感を与えてくれる木ですね。

首里杜館(すいむいかん)前のガジュマル
琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録された、園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)です。この御嶽は国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した場所であることから、我々も旅の安全を祈るために訪れようと決めていました。

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
歓会門(かんかいもん)が見えてきました。先程の守礼門といい、本土の建築とは異なり、中国の城に近いですね。歓会門をくぐる時のアーチに切り取られた景観が印象的でした。


歓会門(かんかいもん)
その先には瑞泉門(ずいせんもん)が見えます。
瑞泉門の石段の下からは久慶門(きゅうけいもん)も見えます。女性の通用門として使用されていたそうです。


瑞泉門(ずいせんもん) 歓会門側から見た久慶門(きゅうけいもん)
瑞泉門をくぐって左手にある漏刻門(ろうこくもん)。「漏刻」とは中国語で「水時計」という意味。時を知らせる門です。
漏刻門の先には日影台(にちえいだい)や「万国津梁の鐘」のレプリカがあり、龍潭池(りゅうたんいけ)側が眺望出来ます。


漏刻門(ろうこくもん)
奉神門(ほうしんもん)、正殿のある御庭(うなー)へ続く最後の門です。3つの入り口があります。かつてはが身分の高い者が中央を利用していました。この先が有料エリアです。

奉神門(ほうしんもん)
いよいよ首里城 正殿。1429年に成立した琉球王朝の栄華が偲ばれます。
生憎の曇天で、本来の鮮やかさが写せなかったのが残念です。

首里城 正殿
現在、南殿・番所(なんでん・ばんどころ)は、王朝時代の美術工芸品などの展示室として利用されています。
その傍らにハイビスカスが咲いていました。沖縄に来てからは見慣れた花も、背景が変われば一風変わった絵になります。

書院(しょいん)。ここは写真OK。いままでの朱塗りの壁や柱とは異なり、和の趣です。


書院(しょいん)と庭園
琉球石灰岩とソテツと松などで構成された庭園。砂利が枯山水の趣です。

正殿内部の玉座(復元)です。後ほど紹介する正殿正面と同様に、両側に吽形と阿形の龍柱が配されています。
「中山世土(ちゅうざんせいど)」 「輯瑞球陽(しゅうずいきゅうよう)」 「永祚瀛壖(えいそえいぜん)」 と書かれた3つの扁額が掛けられていました。

正殿内部の玉座(復元)
戦後、わずかに残った首里城跡の遺構部分を見ることができます。

首里城跡の遺構部分
唐破風の妻飾。中央には火焔宝珠、両脇には金龍と瑞雲の彫刻、中央上部には龍頭が飾られています。左右の棟飾りも龍頭です。ひげが何とも言えない絶妙な形ですね。


首里城 正殿のライトアップ 唐破風妻飾

日没時刻からライトアップされます。できればトワイライトタイムの中でもダークブルーがとりわけ美しい「マジックアワー」に撮影したかったのですが、残念ながら正殿のエリアは19:00で閉園。
「西(イリ)のアザナ」からライトアップされた城内と那覇市街の夕景を眺め、後ろ髪を引かれる思いで首里城を後にしました。
この後はタクシーで国際通りに向かいます。
(つづく)
沖縄「首里金城町石畳道」 芭蕉布をめぐる旅①
沖縄「国際通りで三線と民謡ライブ」 芭蕉布をめぐる旅③
09.2015
沖縄「首里金城町石畳道」 芭蕉布をめぐる旅①
連休もいよいよ終わりです。如何お過ごしでしたか?
僕はひと足先に、4月20日(月)~24日(金)まで4泊5日「沖縄 芭蕉布をめぐる旅」を企画し、7名で出かけてきたばかりです。
これは歌の「芭蕉布」を軸に、青い空と海、首里の古城と石畳、芭蕉の木、琉球藍の藍染のみならず、各観光スポットにも立ち寄ることで、沖縄の歴史と風土にふれる旅です。
これから数回に分けて紹介します。
4月20日(月)羽田空港 11:00発→那覇空港13:35着。
うまくいけば、
観光周遊バス「ゆいゆい号」で周遊
那覇空港国内線ターミナル14:00発⇒識名園前14:37着⇒識名園(約50分)15:30発⇒首里城前15:46着 玉陵・金城町石畳道(約60分)⇒首里城公園 (軽食・約2時間)⇒
路線バスまたはタクシーで移動
国際通りで夕食(19:45~21:40) ⇒県庁前・ブルーシールアイス(パレットくもじ)~22:00⇒沖縄ナハナホテル&スパ 宿泊
の予定だったのですが、飛行機が30分遅れで出発し、那覇空港に14時過ぎに到着。予め20分遅れまで想定して調べていたバスとモノレールの時刻が無駄に終わり、痛い洗礼を受けましたが、それも旅の醍醐味と気を取り直して出発。
預けていた手荷物を受け取り、予約しておいた那覇市内のホテルへの手荷物配送サービスを利用。身軽になって観光です。
下記の行程に変更。識名園と玉陵を諦めることにしました。
羽田空港 11:00発→那覇空港13:35着。
ゆいレール:那覇空港駅14:30発⇒首里駅14:57着、金城町石畳道(約60分)
タクシー:⇒首里城公園 (軽食・約2時間)⇒国際通りで夕食 (19:45~21:40)
徒歩:⇒県庁前・ブルーシールアイス(パレットくもじ)~22:00⇒沖縄ナハナホテル&スパ 宿泊
ゆいレールで那覇空港駅14:30発⇒首里駅14:57着。そこから金城町石畳道まで歩きました。
首里城公園の南側の瑞泉酒造のある通りを回り、15:30に赤マルソウ通りの石畳入口に到着。普通に首里城前から来れば、真珠道(まだまみち)を最初から見ることができたのですが、これはこれでアリです。
坂を上って、本来の目的だった「首里金城町石畳への下り道」から紹介しますね。
子どもたちが向っているように、斜め右に下りてゆきます。

これが島添坂(シマシービラ)、真珠道(まだまみち)の始まりです。
「ビラ」とは沖縄方言で「坂」のこと。そして「真珠道」とは「真珠のように美しい道」という意味だそうです。

島添坂(シマシービラ)に石畳茶屋「真珠」があります。高台にあるので眺望も抜群です。写真はその横の石段を下から見上げたところです。
島添坂を下ると、赤マルソウ通りと交差して、「首里金城町石畳道」へと続きます。
「首里金城町石畳道」は沖縄県指定史跡に指定され、日本の道100選にも選定されています。
琉球王国尚真王(1522)の治世に琉球石灰岩を敷きつめて造られました。かつてこの石畳は首里城から識名園まで続いていたのだとか…。それにしても美しい道。
ちょうど学校帰りの女の子たちと遭遇。自分が小学生の頃を思い出し、なんだか懐かしくなります。
沖縄ではあちこちで見かける石敢當(いしがんどう)。中国伝来の風習で、魔よけの効果があるそうです。

NHK連続テレビ小節「ちゅらさん」のロケ地でヒロインの自宅外観として撮影された建物がありました。門柱にシーサーがいます。伝説の獣で、やはり魔除けの意味があります。ちなみにシーサーは「獅子」を沖縄方言で発音したものだそうです。
敷地内にリアルシーサーがいました。全く同じポーズでした。
それにしても、シーサーとインドネシアのバリ島に伝わる獅子の姿の聖獣:バロン(Barong)はよく似ています。どちらも中国文化の影響を強く受けていますね。
オリエント文明から中国を通じて琉球にやってきた獅子たちは地域や時代によって、その姿、形を変えました。シルクロードを旅してきたのですね。壮大なロマンを感じます。

NHK連続テレビ小節「ちゅらさん」のロケ地
途中に脇道があります。内金城嶽(うちかなぐすくたき)への入口です。

内金城嶽(うちかなぐすくたき)・大アカギ群への入口
ここには樹齢200年もの大アカギ群があります。神が降臨する神秘の世界です。

脇道を戻り、さらに下ると、金城村屋(カナグシクムラヤー)という古民家風の休憩所があります。休憩がてら芭蕉布を歌いました。
首里の古城の 石だたみ
昔を偲ぶ かたほとり(※田舎の風情)
実れる芭蕉 熟れていた
緑葉の下 我した島沖縄

金城村屋(カナグシクムラヤー)
金城村屋に隣接して金城大樋川(カナグシクウフフィージャ-)という湧泉と、さらに隣には華茶園(華茶苑)があります。
昔は金城大樋川の横には樋川毛(フィージャーモー)と呼ばれる広場(現在の金城村屋)があったそうです。
金城大樋川は村の共同井戸としてばかりでなく、石畳道を往来する人馬が喉を潤す場所でもありました。かつて琉球国王は駕籠(かご)で識名園への往来の際、急坂の前で休憩し、臣下や駕籠舁はここで喉を潤し、国王は華茶園(華茶苑)で一服したのです。琉球王朝時代も今も変わらず、人々の憩いの場所だったのですね。
金城大樋川(カナグシクウフフィージャ-) 華茶園(華茶苑)

華茶園の石垣と石畳 金城村屋の傍らのガジュマロの下から望む
新しい家屋が建っていますが、石垣と石畳から往時が偲ばれます。

民家の庭先には本土では見られない植物が目を楽しませてくれ、親切に説明書きもあります。
そして16:24、石畳道の下の首里殿内(すいどぅんち)に到着。ここは素敵な中庭があり、ゆったりと沖縄ならではの食事もできるので時間があれば寄りたかった所です。

ここからタクシーを呼んで首里城前に移動しました。
(つづく)
沖縄「首里城公園」 芭蕉布をめぐる旅②
僕はひと足先に、4月20日(月)~24日(金)まで4泊5日「沖縄 芭蕉布をめぐる旅」を企画し、7名で出かけてきたばかりです。
これは歌の「芭蕉布」を軸に、青い空と海、首里の古城と石畳、芭蕉の木、琉球藍の藍染のみならず、各観光スポットにも立ち寄ることで、沖縄の歴史と風土にふれる旅です。
これから数回に分けて紹介します。
4月20日(月)羽田空港 11:00発→那覇空港13:35着。
うまくいけば、
観光周遊バス「ゆいゆい号」で周遊
那覇空港国内線ターミナル14:00発⇒識名園前14:37着⇒識名園(約50分)15:30発⇒首里城前15:46着 玉陵・金城町石畳道(約60分)⇒首里城公園 (軽食・約2時間)⇒
路線バスまたはタクシーで移動
国際通りで夕食(19:45~21:40) ⇒県庁前・ブルーシールアイス(パレットくもじ)~22:00⇒沖縄ナハナホテル&スパ 宿泊
の予定だったのですが、飛行機が30分遅れで出発し、那覇空港に14時過ぎに到着。予め20分遅れまで想定して調べていたバスとモノレールの時刻が無駄に終わり、痛い洗礼を受けましたが、それも旅の醍醐味と気を取り直して出発。
預けていた手荷物を受け取り、予約しておいた那覇市内のホテルへの手荷物配送サービスを利用。身軽になって観光です。
下記の行程に変更。識名園と玉陵を諦めることにしました。
羽田空港 11:00発→那覇空港13:35着。
ゆいレール:那覇空港駅14:30発⇒首里駅14:57着、金城町石畳道(約60分)
タクシー:⇒首里城公園 (軽食・約2時間)⇒国際通りで夕食 (19:45~21:40)
徒歩:⇒県庁前・ブルーシールアイス(パレットくもじ)~22:00⇒沖縄ナハナホテル&スパ 宿泊
ゆいレールで那覇空港駅14:30発⇒首里駅14:57着。そこから金城町石畳道まで歩きました。
首里城公園の南側の瑞泉酒造のある通りを回り、15:30に赤マルソウ通りの石畳入口に到着。普通に首里城前から来れば、真珠道(まだまみち)を最初から見ることができたのですが、これはこれでアリです。

坂を上って、本来の目的だった「首里金城町石畳への下り道」から紹介しますね。
子どもたちが向っているように、斜め右に下りてゆきます。

これが島添坂(シマシービラ)、真珠道(まだまみち)の始まりです。
「ビラ」とは沖縄方言で「坂」のこと。そして「真珠道」とは「真珠のように美しい道」という意味だそうです。


島添坂(シマシービラ)に石畳茶屋「真珠」があります。高台にあるので眺望も抜群です。写真はその横の石段を下から見上げたところです。
島添坂を下ると、赤マルソウ通りと交差して、「首里金城町石畳道」へと続きます。

「首里金城町石畳道」は沖縄県指定史跡に指定され、日本の道100選にも選定されています。
琉球王国尚真王(1522)の治世に琉球石灰岩を敷きつめて造られました。かつてこの石畳は首里城から識名園まで続いていたのだとか…。それにしても美しい道。
ちょうど学校帰りの女の子たちと遭遇。自分が小学生の頃を思い出し、なんだか懐かしくなります。
沖縄ではあちこちで見かける石敢當(いしがんどう)。中国伝来の風習で、魔よけの効果があるそうです。



NHK連続テレビ小節「ちゅらさん」のロケ地でヒロインの自宅外観として撮影された建物がありました。門柱にシーサーがいます。伝説の獣で、やはり魔除けの意味があります。ちなみにシーサーは「獅子」を沖縄方言で発音したものだそうです。
敷地内にリアルシーサーがいました。全く同じポーズでした。
それにしても、シーサーとインドネシアのバリ島に伝わる獅子の姿の聖獣:バロン(Barong)はよく似ています。どちらも中国文化の影響を強く受けていますね。
オリエント文明から中国を通じて琉球にやってきた獅子たちは地域や時代によって、その姿、形を変えました。シルクロードを旅してきたのですね。壮大なロマンを感じます。


NHK連続テレビ小節「ちゅらさん」のロケ地
途中に脇道があります。内金城嶽(うちかなぐすくたき)への入口です。


内金城嶽(うちかなぐすくたき)・大アカギ群への入口
ここには樹齢200年もの大アカギ群があります。神が降臨する神秘の世界です。







脇道を戻り、さらに下ると、金城村屋(カナグシクムラヤー)という古民家風の休憩所があります。休憩がてら芭蕉布を歌いました。
首里の古城の 石だたみ
昔を偲ぶ かたほとり(※田舎の風情)
実れる芭蕉 熟れていた
緑葉の下 我した島沖縄


金城村屋(カナグシクムラヤー)
金城村屋に隣接して金城大樋川(カナグシクウフフィージャ-)という湧泉と、さらに隣には華茶園(華茶苑)があります。
昔は金城大樋川の横には樋川毛(フィージャーモー)と呼ばれる広場(現在の金城村屋)があったそうです。
金城大樋川は村の共同井戸としてばかりでなく、石畳道を往来する人馬が喉を潤す場所でもありました。かつて琉球国王は駕籠(かご)で識名園への往来の際、急坂の前で休憩し、臣下や駕籠舁はここで喉を潤し、国王は華茶園(華茶苑)で一服したのです。琉球王朝時代も今も変わらず、人々の憩いの場所だったのですね。


金城大樋川(カナグシクウフフィージャ-) 華茶園(華茶苑)


華茶園の石垣と石畳 金城村屋の傍らのガジュマロの下から望む
新しい家屋が建っていますが、石垣と石畳から往時が偲ばれます。

民家の庭先には本土では見られない植物が目を楽しませてくれ、親切に説明書きもあります。
そして16:24、石畳道の下の首里殿内(すいどぅんち)に到着。ここは素敵な中庭があり、ゆったりと沖縄ならではの食事もできるので時間があれば寄りたかった所です。

ここからタクシーを呼んで首里城前に移動しました。
(つづく)
沖縄「首里城公園」 芭蕉布をめぐる旅②