Information
■ライブ・スケジュール 詳細を見る
2023年
9月30日(土)Live CUSTER(ライブ·カスター)
14:00 Open/14:30 Start
地下鉄:千代田線湯島駅 銀座線上野広小路駅
JR御徒町駅
11月25日(土)Live CUSTER(ライブ·カスター)
14:00 Open/14:30 Start
地下鉄:千代田線湯島駅 銀座線上野広小路駅
JR御徒町駅

■ライブ・スケジュール 詳細を見る
2023年
9月30日(土)Live CUSTER(ライブ·カスター)
14:00 Open/14:30 Start
地下鉄:千代田線湯島駅 銀座線上野広小路駅
JR御徒町駅
11月25日(土)Live CUSTER(ライブ·カスター)
14:00 Open/14:30 Start
地下鉄:千代田線湯島駅 銀座線上野広小路駅
JR御徒町駅
28.2013
湯島のライブ・カスター、いよいよ明日!
しばらく雨が続きましたね。いよいよ明日、湯島のライブ・カスターでライブです。僕は今楽譜を書いています、明日なのに!!!
明日のプログラムはクラシカル・クロスオーバーとジャズの2部構成です。カンツォーネも予定していますが、前回よりもイタリア古典をいくつか多めにセレクトしてみました。そして、もちろんラテンも…。ピアノのAmorさんと初めて演奏する曲が多いので、少しドキドキしています。そして本番のドキドキはピークに達するでしょう…。
どうぞお楽しみに!

明日のプログラムはクラシカル・クロスオーバーとジャズの2部構成です。カンツォーネも予定していますが、前回よりもイタリア古典をいくつか多めにセレクトしてみました。そして、もちろんラテンも…。ピアノのAmorさんと初めて演奏する曲が多いので、少しドキドキしています。そして本番のドキドキはピークに達するでしょう…。
どうぞお楽しみに!

スポンサーサイト
26.2013
富士山・三保の松原、世界文化遺産登録 おめでとうございます!!
2013年6月22日、カンボジアのプノンペンで開催されていた世界遺産委員会で富士山は世界文化遺産に登録されました。国際記念物遺跡会議(ICOMOS、イコモス)が除外すべきと勧告していた「三保の松原」も含まれることとなりました。おめでとうございます。世界遺産としての正式な名称は「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」だそうです。
「『日本の国家的な象徴だが、その影響は日本をはるかに超えて及んでいる』とし、『宗教的伝統と芸術的伝統の融合』と評価され、古くから霊山として巡礼地になったことに加え、葛飾北斎の浮世絵などの題材となり西洋の芸術思想にも影響を与えた点に顕著な普遍的価値を認めた」とされています。
葉山・森戸海岸からの富士山(2009.2.1)
田子の浦ゆ 打ちいでてみれば 真白にぞ
富士の高嶺に雪はふりける 山辺赤人
初詣先で購入した葛飾北斎:凱風快晴
富士は「不二」「不死」とされ、「一富士、二鷹、三茄子」と言われるように、縁起ものとしても愛され続けてきました。
しかし、かつては女人禁制で信仰の山だった富士山も、明治時代になると信仰登山は廃れ、女人禁制が解かれたのはともかく、代わって娯楽やスポーツとしても登られるようになり、大量のゴミが問題になりました。
また、三保の松原も、海岸侵食の危機から守るための波消ブロックが、日本の海岸の原風景である白砂青松の景観を損ねてしまっています。
砂浜の消滅は各地で抱えている問題で、地球の温暖化による海面上昇や、ダム、堰、護岸等による砂の供給の減少、海岸構造物による潮流の変化等が原因とされています。
三保の松原のある清水海岸でも、昭和30年代から安倍川の砂利採取が行われたことにより、砂の供給がほとんど無くなり、海岸線の侵食が始まりました。昭和42年には大規模な砂利採取を止めたものの、その後も侵食がおさまらず、人工岬(ヘッドランド)の設置などの対策がなされているそうです。
我が家にあった旧五百円紙幣(山梨県大月市の雁ヶ腹摺山山頂から)
砂浜はその形成過程からみても長い年月をかけて変化するものですが、これは明らかに人間の乱開発の結果、消滅の危機にあえいでいるのです。景観を維持するには、根本的な解決策が必要ですね。他の場所から輸送してきた砂の投入による養浜では、ただの人工ビーチになってしまいます。
富士山やその周辺の世界文化遺産登録にあたり、昭和の乱開発と自然保護に対するモラルの低さが浮き彫りとなりました。近代化の負の象徴とならないためにも、今からでも遅くないと信じて改善していきたいものですね。
「『日本の国家的な象徴だが、その影響は日本をはるかに超えて及んでいる』とし、『宗教的伝統と芸術的伝統の融合』と評価され、古くから霊山として巡礼地になったことに加え、葛飾北斎の浮世絵などの題材となり西洋の芸術思想にも影響を与えた点に顕著な普遍的価値を認めた」とされています。

葉山・森戸海岸からの富士山(2009.2.1)
田子の浦ゆ 打ちいでてみれば 真白にぞ
富士の高嶺に雪はふりける 山辺赤人

初詣先で購入した葛飾北斎:凱風快晴
富士は「不二」「不死」とされ、「一富士、二鷹、三茄子」と言われるように、縁起ものとしても愛され続けてきました。
しかし、かつては女人禁制で信仰の山だった富士山も、明治時代になると信仰登山は廃れ、女人禁制が解かれたのはともかく、代わって娯楽やスポーツとしても登られるようになり、大量のゴミが問題になりました。
また、三保の松原も、海岸侵食の危機から守るための波消ブロックが、日本の海岸の原風景である白砂青松の景観を損ねてしまっています。
砂浜の消滅は各地で抱えている問題で、地球の温暖化による海面上昇や、ダム、堰、護岸等による砂の供給の減少、海岸構造物による潮流の変化等が原因とされています。
三保の松原のある清水海岸でも、昭和30年代から安倍川の砂利採取が行われたことにより、砂の供給がほとんど無くなり、海岸線の侵食が始まりました。昭和42年には大規模な砂利採取を止めたものの、その後も侵食がおさまらず、人工岬(ヘッドランド)の設置などの対策がなされているそうです。

我が家にあった旧五百円紙幣(山梨県大月市の雁ヶ腹摺山山頂から)
砂浜はその形成過程からみても長い年月をかけて変化するものですが、これは明らかに人間の乱開発の結果、消滅の危機にあえいでいるのです。景観を維持するには、根本的な解決策が必要ですね。他の場所から輸送してきた砂の投入による養浜では、ただの人工ビーチになってしまいます。
富士山やその周辺の世界文化遺産登録にあたり、昭和の乱開発と自然保護に対するモラルの低さが浮き彫りとなりました。近代化の負の象徴とならないためにも、今からでも遅くないと信じて改善していきたいものですね。
21.2013
初夏の鎌倉(2)鎌倉文学館のバラ
長谷寺を出て鎌倉文学館へ向かう途中、大通りから少し中に入ってみました。
鎌倉市長谷子ども会館(旧諸戸邸)があります。決して遠回りではありません。

後で調べたのですが、この建物は、 明治41年に株式仲買人・福島浪蔵が建てた洋館で、大正10年に譲り受けた豪商・諸戸清六が昭和55年に鎌倉市に寄贈されました。 バルコニーにはギリシア建築の様式を取り入れた柱があり、メダリオン飾りが付けられており、ドア枠と窓枠には手の込んだ華麗な装飾が施されるなど、この規模にして見ごたえのある外観です。
内部見学ができないのが残念でした。
長谷寺から鎌倉文学館までは遠くはありませんが、歩くのが苦手な方は人力車を利用するのも一案です。トンネルをくぐって別荘地特有の林を抜け、瀟洒な洋館にたどり着きました。

鎌倉文学館はもともとは1890年(明治23年)頃に侯爵 前田利嗣の鎌倉別邸として建てられたのですが、火災で焼失し、侯爵 前田利為が1936年(昭和11年)に洋風に全面改築したそうです。川端康成、夏目漱石、芥川龍之介、与謝野晶子らをはじめ、鎌倉にゆかりの文学者の直筆原稿や手紙、愛用品などが展示されています。
ここは鎌倉文学館バラまつりが開催されます。2013年は5月15日(水)〜6月9日(日)だったので、もう終わってしまいましたね。下の写真は2010年6月17日に撮影したものです。紫陽花をメインにバラも楽しもうと欲張って、鎌倉文学館に問い合わせをして、この時期に鎌倉を訪れたのですが、花の数は少ないものの、2番目の蕾が綺麗に開花していました。

鎌倉市長谷子ども会館(旧諸戸邸)があります。決して遠回りではありません。


後で調べたのですが、この建物は、 明治41年に株式仲買人・福島浪蔵が建てた洋館で、大正10年に譲り受けた豪商・諸戸清六が昭和55年に鎌倉市に寄贈されました。 バルコニーにはギリシア建築の様式を取り入れた柱があり、メダリオン飾りが付けられており、ドア枠と窓枠には手の込んだ華麗な装飾が施されるなど、この規模にして見ごたえのある外観です。
内部見学ができないのが残念でした。
長谷寺から鎌倉文学館までは遠くはありませんが、歩くのが苦手な方は人力車を利用するのも一案です。トンネルをくぐって別荘地特有の林を抜け、瀟洒な洋館にたどり着きました。


鎌倉文学館はもともとは1890年(明治23年)頃に侯爵 前田利嗣の鎌倉別邸として建てられたのですが、火災で焼失し、侯爵 前田利為が1936年(昭和11年)に洋風に全面改築したそうです。川端康成、夏目漱石、芥川龍之介、与謝野晶子らをはじめ、鎌倉にゆかりの文学者の直筆原稿や手紙、愛用品などが展示されています。
ここは鎌倉文学館バラまつりが開催されます。2013年は5月15日(水)〜6月9日(日)だったので、もう終わってしまいましたね。下の写真は2010年6月17日に撮影したものです。紫陽花をメインにバラも楽しもうと欲張って、鎌倉文学館に問い合わせをして、この時期に鎌倉を訪れたのですが、花の数は少ないものの、2番目の蕾が綺麗に開花していました。




_convert_20130620151742s.jpg)

20.2013
初夏の鎌倉(1)紫陽花めぐり(極楽寺~成就院~長谷寺)
梅雨と台風4号が一緒になって、雨が続いていますね。水不足を未然に防ぐ恵の雨となってくれればよいのですが、局所に集中豪雨となって被害が出なければいいなと願っております。
今は紫陽花が花盛りで、山手線からも紫陽花が見えます。そこで今日は2010年6月17日に鎌倉へ紫陽花、そして鎌倉文学館のバラの両方を見に行った時の写真を紹介します。
鎌倉駅から江ノ電のフリーパスで極楽寺駅下車。極楽寺と成就院を拝観しました。成就院前の階段からは由比ヶ浜と材木座の海が見渡せ、紫陽花目当ての観光客ではご覧の行列。でも皆マナーよく観賞していて、流れはスムーズでした。
斜面に沿って大きな紫陽花が色とりどりに咲き誇っているかと思えば、足元にも紅い葉っぱのがく紫陽花が咲いていました。
青空の下、門の瓦と白と紫のコントラストがとても爽やかでした。

ほどなく虚空蔵堂と「星の井」に出ます。「星月の井」とも云われている鎌倉十井の一つです。「昔、この井戸の中は昼でも星の影が映っていたが、近所の召し使いが包丁を井戸に落として以来、星の影が見えなくなってしまった」という伝説があります。また、この辺りは由比が浜など、東海道を股にかけた大泥棒、白浪五人男の口上でも有名な地域です。
左に入ると御霊神社があります。ここにもひっそりと艶やかに紫陽花が咲いていました。

長谷寺を拝観する前に昼食をとりました。「しらす丼」を注文。どんぶり1つで出てくると思っていたら、ご覧のようなセットが出てきて感激しました。

いよいよ長谷寺へ。

素敵な日本庭園に菖蒲が映えますね。睡蓮も可憐です。

長谷寺は紫陽花の名所と言われるだけあって、美しさは勿論、その種類の豊富さもさすがでした。
上からは紫陽花越しに由比ヶ浜が眺望できます。

見上げるとこんなに紫陽花が…。

こうして長谷寺を後にしました。(つづく)
今は紫陽花が花盛りで、山手線からも紫陽花が見えます。そこで今日は2010年6月17日に鎌倉へ紫陽花、そして鎌倉文学館のバラの両方を見に行った時の写真を紹介します。
鎌倉駅から江ノ電のフリーパスで極楽寺駅下車。極楽寺と成就院を拝観しました。成就院前の階段からは由比ヶ浜と材木座の海が見渡せ、紫陽花目当ての観光客ではご覧の行列。でも皆マナーよく観賞していて、流れはスムーズでした。

斜面に沿って大きな紫陽花が色とりどりに咲き誇っているかと思えば、足元にも紅い葉っぱのがく紫陽花が咲いていました。


青空の下、門の瓦と白と紫のコントラストがとても爽やかでした。


ほどなく虚空蔵堂と「星の井」に出ます。「星月の井」とも云われている鎌倉十井の一つです。「昔、この井戸の中は昼でも星の影が映っていたが、近所の召し使いが包丁を井戸に落として以来、星の影が見えなくなってしまった」という伝説があります。また、この辺りは由比が浜など、東海道を股にかけた大泥棒、白浪五人男の口上でも有名な地域です。
左に入ると御霊神社があります。ここにもひっそりと艶やかに紫陽花が咲いていました。


長谷寺を拝観する前に昼食をとりました。「しらす丼」を注文。どんぶり1つで出てくると思っていたら、ご覧のようなセットが出てきて感激しました。

いよいよ長谷寺へ。

素敵な日本庭園に菖蒲が映えますね。睡蓮も可憐です。


長谷寺は紫陽花の名所と言われるだけあって、美しさは勿論、その種類の豊富さもさすがでした。




上からは紫陽花越しに由比ヶ浜が眺望できます。

見上げるとこんなに紫陽花が…。


こうして長谷寺を後にしました。(つづく)
16.2013
駅のかわいらしい住人
今日は埼玉県で仕事でしたが、駅のホームにかわいらしい住人が現れました。

ハツカネズミくらいの大きさの小さなネズミでした。ひょっとしたらまだ子どもなので怖いもの知らずなのでしょうか、僕がそばでしゃがみこんでも逃げませんでした。

階段の下のお菓子の包装の菓子屑がお目当てのようです。
僕がカメラを向けていたので、周囲の人たちも気付き始めました。

階段の横の割れ目からお家に向かっていきました。

ハツカネズミくらいの大きさの小さなネズミでした。ひょっとしたらまだ子どもなので怖いもの知らずなのでしょうか、僕がそばでしゃがみこんでも逃げませんでした。

階段の下のお菓子の包装の菓子屑がお目当てのようです。
僕がカメラを向けていたので、周囲の人たちも気付き始めました。

階段の横の割れ目からお家に向かっていきました。
13.2013
今日の料理:鶏むね肉とゴーヤのキムチ炒め 、牛肉のステーキとゴーヤ炒め
夏になったので、旬の野菜、ゴーヤを買ってきました。そこで、今日はゴーヤを使ったレシピを紹介します。
ゴーヤといえば真っ先に思い浮かべるのがゴーヤチャンプルー。チャンプルーは野菜や豆腐などを炒めた沖縄料理で、沖縄方言で「混ぜこぜにした」というような意味で、「ちゃんぽん」と語源は同じようです。
でも、今日は豚肉はないし、豆腐を入念に水切りするほど時間もかけたくない。そして暑い夏を乗り切るパワーの出る料理…ということで、冷蔵庫のあり合わせの食材で作りました。そういう意味では僕の料理は「混ぜこぜ」ですね。
鶏むね肉とゴーヤのキムチ炒め

【材料】
鶏むね肉、ゴーヤ、かぼちゃ、玉ねぎ、ニンニク、生姜、クルミ、白菜キムチ、オリーブオイル、コショウ
作り方の説明はいりませんね。フライパンで鶏むね肉、野菜、キムチの順に炒めるだけで簡単です。
今回は鶏むね肉の下ごしらえはしませんでした。小さめに切った方がキムチの味と馴染みます。
ゴーヤの緑色は残したいので、加えるのは他の野菜より後です。
キムチは韓国からの輸入の白菜キムチを使用しました。他の野菜や香辛料が入っているので、分量さえ気をつければ味付けに失敗しません。塩は要りません。
クルミの食感がアクセントになります。
以上、激安簡単手抜きレシピでした。
あまり激安ではありませんが、下記の簡単手抜きレシピも紹介します。
牛肉のステーキとゴーヤ炒め

【材料】
牛肉(ステーキ用)、ゴーヤ、かぼちゃ、玉ねぎ、ニンニク、生姜、大根、ニンジン、レモン、オリーブオイル、塩、コショウ、黒コショウ、バルサミコ醸造酢
牛肉を焼く時にワインを使うこともあります。バルサミコ醸造酢は、食事の時に大根おろしとにんじんおろしにかけていただきました。
大根おろしは消化を助ける働きがあり、肉料理との相性もばっちり。
でも、大根と赤 唐辛子をおろしたものではなく、大根おろしとにんじんおろしを混ぜたものも「もみじおろし」というのですが、この場合、にんじんと大根がお互いの栄養素を破壊するため、食べあわせがよくないのだとか…。ちょっと残念!生のニンジンはビタミンCを破壊するので要注意だと記憶にあったので、酢とレモンの酸と一緒に摂りました。
ゴーヤといえば真っ先に思い浮かべるのがゴーヤチャンプルー。チャンプルーは野菜や豆腐などを炒めた沖縄料理で、沖縄方言で「混ぜこぜにした」というような意味で、「ちゃんぽん」と語源は同じようです。
でも、今日は豚肉はないし、豆腐を入念に水切りするほど時間もかけたくない。そして暑い夏を乗り切るパワーの出る料理…ということで、冷蔵庫のあり合わせの食材で作りました。そういう意味では僕の料理は「混ぜこぜ」ですね。
鶏むね肉とゴーヤのキムチ炒め

【材料】
鶏むね肉、ゴーヤ、かぼちゃ、玉ねぎ、ニンニク、生姜、クルミ、白菜キムチ、オリーブオイル、コショウ
作り方の説明はいりませんね。フライパンで鶏むね肉、野菜、キムチの順に炒めるだけで簡単です。
今回は鶏むね肉の下ごしらえはしませんでした。小さめに切った方がキムチの味と馴染みます。
ゴーヤの緑色は残したいので、加えるのは他の野菜より後です。
キムチは韓国からの輸入の白菜キムチを使用しました。他の野菜や香辛料が入っているので、分量さえ気をつければ味付けに失敗しません。塩は要りません。
クルミの食感がアクセントになります。
以上、激安簡単手抜きレシピでした。
あまり激安ではありませんが、下記の簡単手抜きレシピも紹介します。
牛肉のステーキとゴーヤ炒め

【材料】
牛肉(ステーキ用)、ゴーヤ、かぼちゃ、玉ねぎ、ニンニク、生姜、大根、ニンジン、レモン、オリーブオイル、塩、コショウ、黒コショウ、バルサミコ醸造酢
牛肉を焼く時にワインを使うこともあります。バルサミコ醸造酢は、食事の時に大根おろしとにんじんおろしにかけていただきました。
大根おろしは消化を助ける働きがあり、肉料理との相性もばっちり。
でも、大根と赤 唐辛子をおろしたものではなく、大根おろしとにんじんおろしを混ぜたものも「もみじおろし」というのですが、この場合、にんじんと大根がお互いの栄養素を破壊するため、食べあわせがよくないのだとか…。ちょっと残念!生のニンジンはビタミンCを破壊するので要注意だと記憶にあったので、酢とレモンの酸と一緒に摂りました。
09.2013
今日の料理:タラの切り身ソテー
今日の料理というタイトルですが、先月に作ったものです。ちょっと忙しくてブログに載せるのが遅れてしまいました。タラの切り身ソテーです。今回はフレンチを意識してみましたがイタリアンの要素も入っています。アボカドとサーモンのクリームチーズ和えと一緒に食べても合います。
タラの切り身ソテー
【材料】
タラの切り身、玉ねぎ、赤ピーマン、にんにく、グリーンアスパラガス、ブロッコリー、オリーブの実、レモン、オリーブオイル、白ワイン、塩、コショウ
黄色いソース…かぼちゃ、ジャガイモ、玉ねぎ、人参、にんにく、セロリの葉、マヨネーズ、豆乳、コンソメ
アンチョビのソース…アンチョビ、玉ねぎ、赤ピーマン、にんにく、オリーブオイル、白ワインビネガー(または白ワインと酢)、コショウ
【作り方】
①かぼちゃ、ジャガイモ、玉ねぎ、人参、にんにく、セロリの葉を適当な大きさに切り、コンソメと一緒に鍋で煮ます。
②①の一部をミキサーに移し、マヨネーズ、豆乳を適宜加えてかき混ぜます。…(黄色いソース)
③①の残りはマヨネーズを入れずに、豆乳を多めに入れてミキサーにかけ、ポタージュにします。
④グリーンアスパラガス(3本)、ブロッコリーを塩ゆでします。
⑤アンチョビ、玉ねぎ、赤ピーマン、にんにくを刻み、オリーブオイル、白ワインビネガー(または白ワインと酢)、コショウを混ぜます。…(アンチョビのソース)
⑥フライパンで玉ねぎと赤ピーマンをオリーブオイル、塩、コショウで炒め、最後ににんにくを炒めます。
⑦フライパンでタラの切り身を白ワインと塩、コショウで味を調え、ふたをして弱火で炒めます。
⑧④のグリーンアスパラガスを1/3サイズに切り、お皿の上に川の字のように3つずつ並べ、その上に交差するようにさらに3つずつ重ねて置き、その上に⑤の野菜と⑦のタラの切り身を重ねて、3層に盛り付けます。
⑨周囲に②の黄色いソースを敷き、⑤のアンチョビのソースをちりばめます。
⑩オリーブの実、レモンと、④の残りのグリーンアスパラガス、ブロッコリーを盛り付けて完成です。
アボカドとサーモンのクリームチーズ和え

アボカドとサーモンのクリームチーズ和えは、色どりのために赤ピーマンを入れてみましたが、プチトマトを半分に切ったのを入れても良かったかなと思います。
応用編ですが、スパゲティーの上に乗せることも可能です。盛り付ける時にタラの切り身が崩れてしまいました。(残念!)身がもろいので、焼く時から最後まで要注意です!こちらはボリューム的にもO.K.です。
タラの切り身ソテーとスパゲティー

タラの切り身ソテー

【材料】
タラの切り身、玉ねぎ、赤ピーマン、にんにく、グリーンアスパラガス、ブロッコリー、オリーブの実、レモン、オリーブオイル、白ワイン、塩、コショウ
黄色いソース…かぼちゃ、ジャガイモ、玉ねぎ、人参、にんにく、セロリの葉、マヨネーズ、豆乳、コンソメ
アンチョビのソース…アンチョビ、玉ねぎ、赤ピーマン、にんにく、オリーブオイル、白ワインビネガー(または白ワインと酢)、コショウ
【作り方】
①かぼちゃ、ジャガイモ、玉ねぎ、人参、にんにく、セロリの葉を適当な大きさに切り、コンソメと一緒に鍋で煮ます。
②①の一部をミキサーに移し、マヨネーズ、豆乳を適宜加えてかき混ぜます。…(黄色いソース)
③①の残りはマヨネーズを入れずに、豆乳を多めに入れてミキサーにかけ、ポタージュにします。
④グリーンアスパラガス(3本)、ブロッコリーを塩ゆでします。
⑤アンチョビ、玉ねぎ、赤ピーマン、にんにくを刻み、オリーブオイル、白ワインビネガー(または白ワインと酢)、コショウを混ぜます。…(アンチョビのソース)
⑥フライパンで玉ねぎと赤ピーマンをオリーブオイル、塩、コショウで炒め、最後ににんにくを炒めます。
⑦フライパンでタラの切り身を白ワインと塩、コショウで味を調え、ふたをして弱火で炒めます。
⑧④のグリーンアスパラガスを1/3サイズに切り、お皿の上に川の字のように3つずつ並べ、その上に交差するようにさらに3つずつ重ねて置き、その上に⑤の野菜と⑦のタラの切り身を重ねて、3層に盛り付けます。
⑨周囲に②の黄色いソースを敷き、⑤のアンチョビのソースをちりばめます。
⑩オリーブの実、レモンと、④の残りのグリーンアスパラガス、ブロッコリーを盛り付けて完成です。
アボカドとサーモンのクリームチーズ和え

アボカドとサーモンのクリームチーズ和えは、色どりのために赤ピーマンを入れてみましたが、プチトマトを半分に切ったのを入れても良かったかなと思います。
応用編ですが、スパゲティーの上に乗せることも可能です。盛り付ける時にタラの切り身が崩れてしまいました。(残念!)身がもろいので、焼く時から最後まで要注意です!こちらはボリューム的にもO.K.です。
タラの切り身ソテーとスパゲティー

05.2013
初夏の収穫
今日はいい天気ですね。我が家の庭も昨日までに剪定を済ませ、元気に伸びていた新緑の一部をのこしつつもさっぱりしました。すぐ大きくなる桜の木を大幅に切りつめたので、日当たりが良くなりました。
今は美女柳(中国原産)が見頃です。

そして、先月新緑の頃ブログで紹介した、手のひらのような葉っぱの植物はタチアオイ(中国原産だと思われていたがトルコあたりの説もある)だと判明しました。

これは剪定前に収穫したグミの実。小さな木なので、今年は70個ほど獲れました。写真はその半分くらいです。

味は…あの酸味と渋みは健在ですが、よく熟しているので甘味はあります。充分楽しめます。
今は美女柳(中国原産)が見頃です。

そして、先月新緑の頃ブログで紹介した、手のひらのような葉っぱの植物はタチアオイ(中国原産だと思われていたがトルコあたりの説もある)だと判明しました。

これは剪定前に収穫したグミの実。小さな木なので、今年は70個ほど獲れました。写真はその半分くらいです。

味は…あの酸味と渋みは健在ですが、よく熟しているので甘味はあります。充分楽しめます。
03.2013
日光・中禅寺湖の旅(5) 東照宮&明治の館
「日光・中禅寺湖の旅のシリーズはいつまでつづくんですか?」と訊かれたのですが、今回で完結の予定です。
2013年5月22日(水)、イタリア大使館別荘でのんびり過ごした後は、バスで中禅寺温泉のホテルにもどり、テラスで休憩、預けていた荷物を手にバスで西参道に向かいます。

いろは坂を下り、来た時と同じ道に戻りました。花石町乗ってきた観光客のグループに、何をご覧になられたのかを尋ねたところ、日光植物園でハンカチの木の花が見頃だったと教えてくれました。代わりに田母沢御用邸で十二単などの展示期間中だったことをお話しました。旅先で気軽に声をかけてみるのも旅の醍醐味ですね。
西参道で下車して東照宮に向かいました。徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀っています。広い参道の向こうに見える背の高い杉の木に圧倒されました。
左に色鮮やかな五重塔、そして表門。

表門をくぐってまず目に入るのは真赤な下神庫・中神庫・上神庫。

その向かい側に神厩舎とかの有名な三猿。

陽明門の見事な彫刻とその数には圧巻です。彫刻のひとつひとつをじっくり目に焼き付けるくらいの意気込みでやってきたのですが、あまりの数に、その意欲も失せてしまいました。

陽明門のそばの回転燈籠、蓮燈籠、そしてブラケット型の燭台。これらはオランダから贈られたものだそうです。ちなみにブラケット型の燭台にはイルカのモチーフが使われているのだとか…。

陽明門の柱のうち1本だけ逆さに建てられているのは、完成した時点で崩壊が始まるとされたことから、未完のままに仕上げたためです。繁栄を願う気持ちをこうして表現したのですね。内側から見たときの右から2本目です。

本社前の唐門。本社は撮影禁止なのですが、中にある白い柱は貝殻をすりつぶして粉にして溶いたものだそうです。

眠り猫の裏側では雀たちがあそんでいました。平和な世の中を表わしているのだそうです。
坂下門から奥宮へは石段が続きます。かの日光杉並木を彷彿させる厳かな佇まいですが、修学旅行の小学生たちが石段の数を数えながら下りてきて、微笑ましかったです。

奥宮には徳川家康公の墓所があり、観光客がいてもなお静謐さを湛えていました。その傍らには、大きな木の穴に向かって願い事を唱えると願いが叶うといわれる叶え杉がありました。皆の健康をお祈りしました。周囲に人がいるので、あまり個人的な願い事を唱えるのは恥ずかしいです。(汗!)

本社と鳴龍を見学しました。鳴龍の下で拍子木を打つと、鈴のような音が響いていました。昔の人がどうやって音響のことを計算したのか不思議ですね。偶然の産物でしょうか?

銅鳥居をくぐって、15:20頃に東照宮を後にしました。
帰りの参道の脇にかわいらしい花を見つけました。トキワナズナという名前だそうです。いっせいに咲揃っていて、小さいながらも壮観でした。

近くにある明治の館に向かいます。参道を左に入ると、ご覧のような小道がありました。苔むした石垣が杉林を分け、石垣の間からはシダや小さな花がしっかりと根をおろしていました。

徒歩10分ほどで明治の館に到着しました。日本コロンビア(株)の前身会社創立者F.W.ホーンの別荘だった建物で、地元の稲荷川の安山岩を積み上げた野趣溢れる外観と南側にベランダと玄関があるのが特徴です。

帰りの東武鉄道の特急スペーシアの時刻に合わせて、16:00に早めの夕食を予約していたのですが、30分も早く着いてしまいました。お店の方は、準備は出来ているとのことで、快く迎えてくれました。写真はベランダの席と1Fです。僕たちは10名なので、2Fのゲスト用の寝室だった個室を案内してくれました。

僕はワインとニジマスのムニエルと、スープとサラダとデザートとドリンクの付いたセットを注文し、ゆばサラダを数人でシェアしました。

ゆばサラダは想像していたのとかけ離れていたので、皆びっくりしていました。

当ブロブのため、他のメンバーのも写真を撮らせてもらいました。オムライスとカレーライスです。みな雰囲気、料理ともに好評でした。

明治の館の隣には蓄音器のギャラリーと、残念ながら休業中の仏蘭西懐石のふじもとの建物があり、窓辺のモッコウバラが満開でした。秋篠宮の真子様の御しるしになっている花ですね。

明治の館からは東武日光駅までタクシーを利用しました。(約10分、¥1,500前後)
東武日光駅18:28発~下今市駅18:37着。スペーシア(特急きぬ138号)下今市駅18:53発~浅草20:35着。
文明開化の波が押し寄せ、西洋人たちによって見出され開発された日光と中禅寺湖畔は、閑静ながらも近代日本と西洋の文化が渾然一体となり、日本人に多くの新しい価値観を芽生えさせました。
1日目は田母沢御用邸で江戸・明治・大正時代の和風建築、日光真光教会で大正時代の石造りのゴシック建築を見学し、2日目のイタリア大使館別荘では昭和初期の和洋折衷様式の木造の別荘でくつろぎ、東照宮を拝観しました。そして旅のしめくくりにふさわしい場所としてレストラン明治の館という明治末期の石造りの洋館を選びました。全て世界遺産や重要文化財などに指定されているものばかりです。また、その土地ならではの植物を目にすることができました。自分でもなかなかいい旅だったと思います。
2013年5月22日(水)、イタリア大使館別荘でのんびり過ごした後は、バスで中禅寺温泉のホテルにもどり、テラスで休憩、預けていた荷物を手にバスで西参道に向かいます。

いろは坂を下り、来た時と同じ道に戻りました。花石町乗ってきた観光客のグループに、何をご覧になられたのかを尋ねたところ、日光植物園でハンカチの木の花が見頃だったと教えてくれました。代わりに田母沢御用邸で十二単などの展示期間中だったことをお話しました。旅先で気軽に声をかけてみるのも旅の醍醐味ですね。
西参道で下車して東照宮に向かいました。徳川家康を神格化した東照大権現(とうしょうだいごんげん)を祀っています。広い参道の向こうに見える背の高い杉の木に圧倒されました。

左に色鮮やかな五重塔、そして表門。


表門をくぐってまず目に入るのは真赤な下神庫・中神庫・上神庫。


その向かい側に神厩舎とかの有名な三猿。


陽明門の見事な彫刻とその数には圧巻です。彫刻のひとつひとつをじっくり目に焼き付けるくらいの意気込みでやってきたのですが、あまりの数に、その意欲も失せてしまいました。


陽明門のそばの回転燈籠、蓮燈籠、そしてブラケット型の燭台。これらはオランダから贈られたものだそうです。ちなみにブラケット型の燭台にはイルカのモチーフが使われているのだとか…。



陽明門の柱のうち1本だけ逆さに建てられているのは、完成した時点で崩壊が始まるとされたことから、未完のままに仕上げたためです。繁栄を願う気持ちをこうして表現したのですね。内側から見たときの右から2本目です。



本社前の唐門。本社は撮影禁止なのですが、中にある白い柱は貝殻をすりつぶして粉にして溶いたものだそうです。

眠り猫の裏側では雀たちがあそんでいました。平和な世の中を表わしているのだそうです。


坂下門から奥宮へは石段が続きます。かの日光杉並木を彷彿させる厳かな佇まいですが、修学旅行の小学生たちが石段の数を数えながら下りてきて、微笑ましかったです。

奥宮には徳川家康公の墓所があり、観光客がいてもなお静謐さを湛えていました。その傍らには、大きな木の穴に向かって願い事を唱えると願いが叶うといわれる叶え杉がありました。皆の健康をお祈りしました。周囲に人がいるので、あまり個人的な願い事を唱えるのは恥ずかしいです。(汗!)


本社と鳴龍を見学しました。鳴龍の下で拍子木を打つと、鈴のような音が響いていました。昔の人がどうやって音響のことを計算したのか不思議ですね。偶然の産物でしょうか?

銅鳥居をくぐって、15:20頃に東照宮を後にしました。
帰りの参道の脇にかわいらしい花を見つけました。トキワナズナという名前だそうです。いっせいに咲揃っていて、小さいながらも壮観でした。

近くにある明治の館に向かいます。参道を左に入ると、ご覧のような小道がありました。苔むした石垣が杉林を分け、石垣の間からはシダや小さな花がしっかりと根をおろしていました。

徒歩10分ほどで明治の館に到着しました。日本コロンビア(株)の前身会社創立者F.W.ホーンの別荘だった建物で、地元の稲荷川の安山岩を積み上げた野趣溢れる外観と南側にベランダと玄関があるのが特徴です。


帰りの東武鉄道の特急スペーシアの時刻に合わせて、16:00に早めの夕食を予約していたのですが、30分も早く着いてしまいました。お店の方は、準備は出来ているとのことで、快く迎えてくれました。写真はベランダの席と1Fです。僕たちは10名なので、2Fのゲスト用の寝室だった個室を案内してくれました。


僕はワインとニジマスのムニエルと、スープとサラダとデザートとドリンクの付いたセットを注文し、ゆばサラダを数人でシェアしました。


ゆばサラダは想像していたのとかけ離れていたので、皆びっくりしていました。

当ブロブのため、他のメンバーのも写真を撮らせてもらいました。オムライスとカレーライスです。みな雰囲気、料理ともに好評でした。


明治の館の隣には蓄音器のギャラリーと、残念ながら休業中の仏蘭西懐石のふじもとの建物があり、窓辺のモッコウバラが満開でした。秋篠宮の真子様の御しるしになっている花ですね。

明治の館からは東武日光駅までタクシーを利用しました。(約10分、¥1,500前後)
東武日光駅18:28発~下今市駅18:37着。スペーシア(特急きぬ138号)下今市駅18:53発~浅草20:35着。
文明開化の波が押し寄せ、西洋人たちによって見出され開発された日光と中禅寺湖畔は、閑静ながらも近代日本と西洋の文化が渾然一体となり、日本人に多くの新しい価値観を芽生えさせました。
1日目は田母沢御用邸で江戸・明治・大正時代の和風建築、日光真光教会で大正時代の石造りのゴシック建築を見学し、2日目のイタリア大使館別荘では昭和初期の和洋折衷様式の木造の別荘でくつろぎ、東照宮を拝観しました。そして旅のしめくくりにふさわしい場所としてレストラン明治の館という明治末期の石造りの洋館を選びました。全て世界遺産や重要文化財などに指定されているものばかりです。また、その土地ならではの植物を目にすることができました。自分でもなかなかいい旅だったと思います。