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■ライブ・スケジュール 詳細を見る
2023年
9月30日(土)Live CUSTER(ライブ·カスター)
14:00 Open/14:30 Start
地下鉄:千代田線湯島駅 銀座線上野広小路駅
JR御徒町駅
11月25日(土)Live CUSTER(ライブ·カスター)
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地下鉄:千代田線湯島駅 銀座線上野広小路駅
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地下鉄:千代田線湯島駅 銀座線上野広小路駅
JR御徒町駅
12.2023
谷中七福神めぐり 2023
谷中七福神めぐりをしました。
毘沙門天、大黒天、弁財天の順に参拝しました。
偶然ですが、全てインド由来の神様です。
まずは護国山天王寺。
たまに訪れる、お気に入りのお寺です。
毘沙門堂に毘沙門天が安置されています。
北の方角を護る、仏法の守護神です。
北風が冷たかったけど、谷中墓地に梅の花が咲いていました。

次に護国院大黒天。
ここは御本尊を間近に拝むことができます。
堂内は暗く重々しい雰囲気ですが、凄く厳かな気分になります。

続いて不忍池のほとりの五條天神社。
祭神は医薬祖神で、大己貴命(おおなむちのかみ=大国主命)らが祀られています。
「因幡の白兎」の神話でも有名ですよね。
大国が大黒と読めることから、のちに大黒天と習合しました。
そして不忍池弁天堂。
その隣には大黒天堂があります。

大黒天堂の大黒天は「三面大黒天」という、大黒天・毘沙門天・弁財天が合体した像なのだそうです。
豊臣秀吉が信仰したと伝えられています。
食生活を守る大黒天を中心に、
右には勇気と力を与えてくれる毘沙門天、
左には美と才能を与えてくれる弁財天。
以上、インド由来の三柱でした。
このご時世に願うことは皆さん共通していると思いますが、どうぞ皆さんにもご利益がありますように。
毘沙門天、大黒天、弁財天の順に参拝しました。
偶然ですが、全てインド由来の神様です。
まずは護国山天王寺。
たまに訪れる、お気に入りのお寺です。
毘沙門堂に毘沙門天が安置されています。
北の方角を護る、仏法の守護神です。
北風が冷たかったけど、谷中墓地に梅の花が咲いていました。



次に護国院大黒天。
ここは御本尊を間近に拝むことができます。
堂内は暗く重々しい雰囲気ですが、凄く厳かな気分になります。



続いて不忍池のほとりの五條天神社。
祭神は医薬祖神で、大己貴命(おおなむちのかみ=大国主命)らが祀られています。
「因幡の白兎」の神話でも有名ですよね。
大国が大黒と読めることから、のちに大黒天と習合しました。
そして不忍池弁天堂。
その隣には大黒天堂があります。



大黒天堂の大黒天は「三面大黒天」という、大黒天・毘沙門天・弁財天が合体した像なのだそうです。
豊臣秀吉が信仰したと伝えられています。
食生活を守る大黒天を中心に、
右には勇気と力を与えてくれる毘沙門天、
左には美と才能を与えてくれる弁財天。
以上、インド由来の三柱でした。
このご時世に願うことは皆さん共通していると思いますが、どうぞ皆さんにもご利益がありますように。
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03.2022
日本の鬼はいつから虎の毛皮のパンツを穿いたのか?
今日は節分。
鬼瓦の起源がギリシャ・ローマ神話のメデューサに由来するらしいというのは意外でした。
かねてより、龍、獅子、麒麟、狛犬、シーサー、バロンの顔がどれも共通点があることも気になっていました。また、物事の始まりと終わりを表す阿吽についても謎がたくさんあります。
そして今、日本の鬼がいつから虎のパンツを穿くようになったか、現在の鬼の姿が定着したのはいつ頃からなのかを調べています。
鬼の概念は日本では平安時代には存在していたといわれています。古来より人々は疫病に悩まされてきました。
壮大なテーマであり、結論にたどり着けなさそうなことは百も承知ですが、どこまで遡れるか、時代を追って紐解いていきたいと思います。

浮世絵に見られる鬼
歌川国貞(梅堂国政)、月岡芳年ら江戸時代以降の浮世絵には、頭に角があり虎の毛皮の腰巻を纏った鬼や雷、疱瘡神、疫神がいくつも描かれています。
鬼門の丑寅と魔除けの鬼瓦
安政3年(1856)に上梓された江戸時代の暦·占の書物『天保新選 永代大雑書萬暦大』を見つけました。
『天保新選永代大雑書萬暦大成』
[鬼門之方位訣]
(略)その鬼の形は定に見たる者なし
唐の呉道子始て鬼の形を描に
頭に角有て腰に虎の皮を纏
これ鬼門は丑寅の間なれば
頭の角は丑の方の牛の角を象どり
腰の虎の皮は寅の方の虎に象どる
是丑寅の間を鬼門といふにもとづきて
鬼の形を描き出す所なり
尤画工の才といふべし
後世鬼を描く事是に倣へり(略)
牛の角と虎の毛皮の腰巻を有する鬼の姿が、鬼門の方位が丑寅であることに由来する旨の記述がありますが、唐の呉道子が牛の角と虎の毛皮の腰巻の鬼の姿を描き出したというのは誤りです。中国では鬼は死霊·幽霊·疫病であり、姿が見えないとされているのです。
鐘馗図は、中国で疫病除けとして人気を博し、新年に大晦日から用意していたものが、やがて端午の節句にも用いられるようになりました。
呉道子が玄宗皇帝の夢に現れた鐘馗を描いた鐘馗図は現存しませんが、しかし、鐘馗がよく虎と共に描かれていることが、日本の鬼の姿に影響したかもしれません。

鬼瓦は鬼門の方位を護る魔除けとして屋根に設置されますが、最初は角が無かったそうです。
『北野天神縁起絵巻(承久本)』(鎌倉時代北野天満宮 所蔵)に、菅原道真が姿を変えた雷神(虎の毛皮ではなく褌姿)が描かれています。(製作年未詳だが、承久元年は1219年)
この頃から鎌倉・室町時代にかけて、角のある鬼瓦が増えていったそうです。菅原道真と牛との関係も興味深いです。

御伽草子に見られる鬼
御伽草子に見られる鬼退治の物語では、一寸法師、源頼光と四天王の話が知られています。
しかし有名な浮世絵の酒呑童子を題材にした大江山絵巻などに登場する鬼は大きく描かれた顔だけで、全身が確認できませんでした。
『土蜘蛛草紙絵巻』(鎌倉時代・13世紀)に描かれた土蜘蛛は、朝廷に従わない豪族などの勢力の蔑称ですが、人の形を留めていません。むしろ国宝の辟邪絵 神虫や牛鬼に形状が似ています。
そして『華厳宗祖師絵伝 元暁絵』(国宝 鎌倉時代·13世紀)。
そこには新羅の僧侶、元暁の夢に現れた、頭に角があり豹や虎の毛皮を纏った日本的な鬼の姿が描かれています。
仏法時代の鬼の両義性
室町時代、南北朝時代、鎌倉時代、平安時代まで遡ると、仏教絵画のなかに鬼が存在します。これらはもはや庶民が見ることができるものではありません。
六道絵などの地獄絵図のほとんどは鬼たちは褌姿、または着物姿で描かれていますが、よく探せば、虎や豹の毛皮の腰巻姿の鬼も混在しています。死者(罪人)たちをいじめるのは改心させるため、結局は人のためにしていると解釈できるのだそうです。
一方、疫病でもなければ、お釈迦様や修行僧の瞑想の邪魔をする邪気でもない、人々に崇められる鬼も存在します。仏の教えに触れ改心し、仏教を守る側になった鬼です。
ところで、仏教絵画には仏教の守護神として崇められる不動明王をはじめとする五大尊(大威徳明王・軍荼利明王・降三世明王・金剛夜叉明王)や、閻魔天、毘沙門天、帝釈天、風天などの十二天、十六羅漢などが数多く存在します。
怖い形相の守護神たちは、しばしば虎や豹の毛皮を纏っています。そして彼らに踏みつけられるのは邪鬼たちです。
私見ですが、毛皮は農耕民族とは異なる、強さの象徴のように感じられます。守護神らの装いが鬼の姿に影響した可能性も考えられます。そして強い悪鬼を退治する、さらに強い英雄が求められたのです。
こうして疫病など見えない恐怖の「隠(おん)」から、時代とともに、人々にわかりやすい可視化された「鬼」へと変貌していったのではないでしょうか。しかし、たとえ各々の時代や地域に合わせて鬼の役割や容貌が変化しても、無病息災や疫病退散といった人々の願いは、現在も変わることなく続いています。
虎や豹の毛皮の腰巻が確認できる絵画リスト
《名画乃鐘馗》
三代目歌川広重筆 明治元年(1868)
木版浮世絵
《疱瘡神を退治せんとする牛痘児》
勝川春亭筆 江戸時代・嘉永4年(1851)
木版浮世絵
《中村芝翫九変化ノ内 雷 鳥羽絵 むすめ 尾上多見蔵 水中早かわり 大評判》
歌川国貞筆 江戸時代・天保12年(1841)
《浮世絵 人形遣い 親雷 小雷 角 虎》
梅堂国政筆 江戸時代・役者絵
《中村芝翫九変化ノ内 朱鍾馗》
歌川国貞筆 江戸時代・天保4年(1833)
ボストン美術館
《奈落の娑婆地獄絵図 》
江戸時代
《雪山童子図》
曽我蕭白筆(1730〜1781) 江戸時代・明和元年(1764)頃
三重・継松寺
《矢田地蔵縁起》
室町時代・16世紀
奈良国立博物館
《不動利益縁起絵巻》
南北朝時代・14世紀
紙本著色不動利益縁起絵巻
東京国立博物館 重要文化財
豹柄の毛皮の毛皮を巻いた馬頭の鬼。
《首掛駄都種子曼荼羅厨子(くびかけだずしゅじまんだらずし)》
南北朝時代・14世紀・至徳4年(1387)
奈良国立博物館
黒漆 首掛駄都種子曼荼羅
左扉絵の降三世明王が虎の毛皮の腰巻姿。
《十王像》
陸仲淵筆(りくちゅうえん) 中国·元時代・14世紀
絹本著色十王像
奈良国立博物館
冥界で死者(罪人)を裁く十名の王。
閻羅王図、泰山王図、五道転輪王図でそれぞれ、
角の生えた、虎の毛皮の腰巻、
豹柄の毛皮の腰巻の鬼たちが罪人を捕まえているのが確認できる。
《不動儀軌》
鎌倉時代・寛元3年(1245)
紙本白描不動明王図像
奈良国立博物館
薬廁柅。
《十二天像》
鎌倉時代・13世紀
絹本著色十二天像
奈良国立博物館 重要文化財
十二天像のうち風天が肩に豹の毛皮、虎の毛皮の腰巻姿で牛のような獣の皮を敷く。
《十二天像》
鎌倉時代・13世紀
紙本白描十二天図像(珍海本)
東京国立博物館 重要文化財
十二天像のうち風天が虎の毛皮の腰巻。
《華厳宗祖師絵伝 元暁絵》
鎌倉時代・13世紀
京都・高山寺 国宝
明恵上人(1173〜1232)と親しい関係にあった恵日坊成忍筆(えにちぼうじょうにん)とする説がある。
《五大明王像》
鎌倉時代・13〜14世紀
絹本著色五大明王像
奈良国立博物館 重要文化財
《烏樞沙摩明王像(うすさまみょうおうぞう)》
鎌倉時代・13世紀
京都国立博物館 重要文化財
豹柄の毛皮の腰巻。
《五大尊像》
鎌倉時代
京都・醍醐寺
《五大尊像》
鎌倉時代
根津美術館
《閻魔天曼荼羅図》
鎌倉時代・13世紀
京都国立博物館 重要文化財
水牛に乗る閻魔天の周囲の十八尊のうち数体が豹柄の毛皮を纏う。
一尊のみ虎の毛皮を敷いて座す。
《五大尊像》
鎌倉時代・12〜13世紀
奈良国立博物館/
《興福寺曼荼羅図》
鎌倉時代・12世紀
京都国立博物館 重要文化財
右上に虎の毛皮を纏った明王らしきものが数体。
《胎蔵図像》
禅覚筆(ぜんかく) 鎌倉時代・建久5年(1194)
紙本墨画胎蔵図像(智証大師本) 奈良国立博物館
外金剛部院の諸天のうち数体が毛皮のような腰巻。
《十二天屏風》
伝宅間勝賀筆 鎌倉時代・建久2年(1191)
絹本着著色十二天屏風(六曲屏風)
京都 教王護国寺(東寺)
《沙門地獄草紙(沸屎地獄)》
平安·鎌倉時代・12世紀
紙本著色地獄草紙
奈良国立博物館 重要文化財
かつて益田家に伝来した全七段からなる地獄草紙の第五段に相当。
馬頭羅刹が豹の毛皮。
《餓鬼草紙》
平安時代・12世紀
紙本著色餓鬼草紙
東京国立博物館 国宝
それぞれ虎の毛皮の腰巻と豹の毛皮の腰巻を巻いた二人の鬼。
《辟邪絵》
平安時代・12世紀
紙本著色辟邪絵
奈良国立博物館 国宝
かつては「益田家本地獄草紙乙巻」と呼ばれた絵巻であったが、戦後に切断されて掛幅装になった。
「天刑星」「毘沙門天」の場面で毛皮のような腰巻姿の疫鬼が確認できるが、はっきり判別できない。
《地獄草紙》
平安時代・12世紀
紙本著色地獄草子
奈良国立博物館 国宝
地獄には八大地獄があり、その周辺には十六小地獄があるとされる。
そのうちの(9)鐡鎧(鉄鎧)の場面に豹柄の毛皮の腰巻の鬼。
《一字金輪曼荼羅》
平安時代・12世紀
奈良国立博物館 重要文化財
右下に一尊、豹柄の毛皮の腰巻姿。
《大仏頂曼荼羅》
平安時代・12世紀
絹本著色大仏頂曼荼羅図
奈良国立博物館 重要文化財
大日金輪の座す須弥山の左側に毛皮の腰巻姿の明王か。
《十六羅漢像》
平安時代・11世紀(11世紀後半)
絹本著色十六羅漢像
東京国立博物館
諾距羅尊者(なこらそんじゃ):毛皮の腰巻姿の鬼。
阿氏多尊者(あじたそんじゃ):それぞれ虎の毛皮の腰巻、豹柄の肩掛の鬼が二体。
注荼半咤迦尊者(ちゅだはんたかそんじゃ):豹柄の腰巻の鬼。
鬼瓦の起源がギリシャ・ローマ神話のメデューサに由来するらしいというのは意外でした。
かねてより、龍、獅子、麒麟、狛犬、シーサー、バロンの顔がどれも共通点があることも気になっていました。また、物事の始まりと終わりを表す阿吽についても謎がたくさんあります。
そして今、日本の鬼がいつから虎のパンツを穿くようになったか、現在の鬼の姿が定着したのはいつ頃からなのかを調べています。
鬼の概念は日本では平安時代には存在していたといわれています。古来より人々は疫病に悩まされてきました。
壮大なテーマであり、結論にたどり着けなさそうなことは百も承知ですが、どこまで遡れるか、時代を追って紐解いていきたいと思います。

浮世絵に見られる鬼
歌川国貞(梅堂国政)、月岡芳年ら江戸時代以降の浮世絵には、頭に角があり虎の毛皮の腰巻を纏った鬼や雷、疱瘡神、疫神がいくつも描かれています。
鬼門の丑寅と魔除けの鬼瓦
安政3年(1856)に上梓された江戸時代の暦·占の書物『天保新選 永代大雑書萬暦大』を見つけました。
『天保新選永代大雑書萬暦大成』
[鬼門之方位訣]
(略)その鬼の形は定に見たる者なし
唐の呉道子始て鬼の形を描に
頭に角有て腰に虎の皮を纏
これ鬼門は丑寅の間なれば
頭の角は丑の方の牛の角を象どり
腰の虎の皮は寅の方の虎に象どる
是丑寅の間を鬼門といふにもとづきて
鬼の形を描き出す所なり
尤画工の才といふべし
後世鬼を描く事是に倣へり(略)
牛の角と虎の毛皮の腰巻を有する鬼の姿が、鬼門の方位が丑寅であることに由来する旨の記述がありますが、唐の呉道子が牛の角と虎の毛皮の腰巻の鬼の姿を描き出したというのは誤りです。中国では鬼は死霊·幽霊·疫病であり、姿が見えないとされているのです。
鐘馗図は、中国で疫病除けとして人気を博し、新年に大晦日から用意していたものが、やがて端午の節句にも用いられるようになりました。
呉道子が玄宗皇帝の夢に現れた鐘馗を描いた鐘馗図は現存しませんが、しかし、鐘馗がよく虎と共に描かれていることが、日本の鬼の姿に影響したかもしれません。

鬼瓦は鬼門の方位を護る魔除けとして屋根に設置されますが、最初は角が無かったそうです。
『北野天神縁起絵巻(承久本)』(鎌倉時代北野天満宮 所蔵)に、菅原道真が姿を変えた雷神(虎の毛皮ではなく褌姿)が描かれています。(製作年未詳だが、承久元年は1219年)
この頃から鎌倉・室町時代にかけて、角のある鬼瓦が増えていったそうです。菅原道真と牛との関係も興味深いです。

御伽草子に見られる鬼
御伽草子に見られる鬼退治の物語では、一寸法師、源頼光と四天王の話が知られています。
しかし有名な浮世絵の酒呑童子を題材にした大江山絵巻などに登場する鬼は大きく描かれた顔だけで、全身が確認できませんでした。
『土蜘蛛草紙絵巻』(鎌倉時代・13世紀)に描かれた土蜘蛛は、朝廷に従わない豪族などの勢力の蔑称ですが、人の形を留めていません。むしろ国宝の辟邪絵 神虫や牛鬼に形状が似ています。
そして『華厳宗祖師絵伝 元暁絵』(国宝 鎌倉時代·13世紀)。
そこには新羅の僧侶、元暁の夢に現れた、頭に角があり豹や虎の毛皮を纏った日本的な鬼の姿が描かれています。
仏法時代の鬼の両義性
室町時代、南北朝時代、鎌倉時代、平安時代まで遡ると、仏教絵画のなかに鬼が存在します。これらはもはや庶民が見ることができるものではありません。
六道絵などの地獄絵図のほとんどは鬼たちは褌姿、または着物姿で描かれていますが、よく探せば、虎や豹の毛皮の腰巻姿の鬼も混在しています。死者(罪人)たちをいじめるのは改心させるため、結局は人のためにしていると解釈できるのだそうです。
一方、疫病でもなければ、お釈迦様や修行僧の瞑想の邪魔をする邪気でもない、人々に崇められる鬼も存在します。仏の教えに触れ改心し、仏教を守る側になった鬼です。
ところで、仏教絵画には仏教の守護神として崇められる不動明王をはじめとする五大尊(大威徳明王・軍荼利明王・降三世明王・金剛夜叉明王)や、閻魔天、毘沙門天、帝釈天、風天などの十二天、十六羅漢などが数多く存在します。
怖い形相の守護神たちは、しばしば虎や豹の毛皮を纏っています。そして彼らに踏みつけられるのは邪鬼たちです。
私見ですが、毛皮は農耕民族とは異なる、強さの象徴のように感じられます。守護神らの装いが鬼の姿に影響した可能性も考えられます。そして強い悪鬼を退治する、さらに強い英雄が求められたのです。
こうして疫病など見えない恐怖の「隠(おん)」から、時代とともに、人々にわかりやすい可視化された「鬼」へと変貌していったのではないでしょうか。しかし、たとえ各々の時代や地域に合わせて鬼の役割や容貌が変化しても、無病息災や疫病退散といった人々の願いは、現在も変わることなく続いています。
虎や豹の毛皮の腰巻が確認できる絵画リスト
《名画乃鐘馗》
三代目歌川広重筆 明治元年(1868)
木版浮世絵
《疱瘡神を退治せんとする牛痘児》
勝川春亭筆 江戸時代・嘉永4年(1851)
木版浮世絵
《中村芝翫九変化ノ内 雷 鳥羽絵 むすめ 尾上多見蔵 水中早かわり 大評判》
歌川国貞筆 江戸時代・天保12年(1841)
《浮世絵 人形遣い 親雷 小雷 角 虎》
梅堂国政筆 江戸時代・役者絵
《中村芝翫九変化ノ内 朱鍾馗》
歌川国貞筆 江戸時代・天保4年(1833)
ボストン美術館
《奈落の娑婆地獄絵図 》
江戸時代
《雪山童子図》
曽我蕭白筆(1730〜1781) 江戸時代・明和元年(1764)頃
三重・継松寺
《矢田地蔵縁起》
室町時代・16世紀
奈良国立博物館
《不動利益縁起絵巻》
南北朝時代・14世紀
紙本著色不動利益縁起絵巻
東京国立博物館 重要文化財
豹柄の毛皮の毛皮を巻いた馬頭の鬼。
《首掛駄都種子曼荼羅厨子(くびかけだずしゅじまんだらずし)》
南北朝時代・14世紀・至徳4年(1387)
奈良国立博物館
黒漆 首掛駄都種子曼荼羅
左扉絵の降三世明王が虎の毛皮の腰巻姿。
《十王像》
陸仲淵筆(りくちゅうえん) 中国·元時代・14世紀
絹本著色十王像
奈良国立博物館
冥界で死者(罪人)を裁く十名の王。
閻羅王図、泰山王図、五道転輪王図でそれぞれ、
角の生えた、虎の毛皮の腰巻、
豹柄の毛皮の腰巻の鬼たちが罪人を捕まえているのが確認できる。
《不動儀軌》
鎌倉時代・寛元3年(1245)
紙本白描不動明王図像
奈良国立博物館
薬廁柅。
《十二天像》
鎌倉時代・13世紀
絹本著色十二天像
奈良国立博物館 重要文化財
十二天像のうち風天が肩に豹の毛皮、虎の毛皮の腰巻姿で牛のような獣の皮を敷く。
《十二天像》
鎌倉時代・13世紀
紙本白描十二天図像(珍海本)
東京国立博物館 重要文化財
十二天像のうち風天が虎の毛皮の腰巻。
《華厳宗祖師絵伝 元暁絵》
鎌倉時代・13世紀
京都・高山寺 国宝
明恵上人(1173〜1232)と親しい関係にあった恵日坊成忍筆(えにちぼうじょうにん)とする説がある。
《五大明王像》
鎌倉時代・13〜14世紀
絹本著色五大明王像
奈良国立博物館 重要文化財
《烏樞沙摩明王像(うすさまみょうおうぞう)》
鎌倉時代・13世紀
京都国立博物館 重要文化財
豹柄の毛皮の腰巻。
《五大尊像》
鎌倉時代
京都・醍醐寺
《五大尊像》
鎌倉時代
根津美術館
《閻魔天曼荼羅図》
鎌倉時代・13世紀
京都国立博物館 重要文化財
水牛に乗る閻魔天の周囲の十八尊のうち数体が豹柄の毛皮を纏う。
一尊のみ虎の毛皮を敷いて座す。
《五大尊像》
鎌倉時代・12〜13世紀
奈良国立博物館/
《興福寺曼荼羅図》
鎌倉時代・12世紀
京都国立博物館 重要文化財
右上に虎の毛皮を纏った明王らしきものが数体。
《胎蔵図像》
禅覚筆(ぜんかく) 鎌倉時代・建久5年(1194)
紙本墨画胎蔵図像(智証大師本) 奈良国立博物館
外金剛部院の諸天のうち数体が毛皮のような腰巻。
《十二天屏風》
伝宅間勝賀筆 鎌倉時代・建久2年(1191)
絹本着著色十二天屏風(六曲屏風)
京都 教王護国寺(東寺)
《沙門地獄草紙(沸屎地獄)》
平安·鎌倉時代・12世紀
紙本著色地獄草紙
奈良国立博物館 重要文化財
かつて益田家に伝来した全七段からなる地獄草紙の第五段に相当。
馬頭羅刹が豹の毛皮。
《餓鬼草紙》
平安時代・12世紀
紙本著色餓鬼草紙
東京国立博物館 国宝
それぞれ虎の毛皮の腰巻と豹の毛皮の腰巻を巻いた二人の鬼。
《辟邪絵》
平安時代・12世紀
紙本著色辟邪絵
奈良国立博物館 国宝
かつては「益田家本地獄草紙乙巻」と呼ばれた絵巻であったが、戦後に切断されて掛幅装になった。
「天刑星」「毘沙門天」の場面で毛皮のような腰巻姿の疫鬼が確認できるが、はっきり判別できない。
《地獄草紙》
平安時代・12世紀
紙本著色地獄草子
奈良国立博物館 国宝
地獄には八大地獄があり、その周辺には十六小地獄があるとされる。
そのうちの(9)鐡鎧(鉄鎧)の場面に豹柄の毛皮の腰巻の鬼。
《一字金輪曼荼羅》
平安時代・12世紀
奈良国立博物館 重要文化財
右下に一尊、豹柄の毛皮の腰巻姿。
《大仏頂曼荼羅》
平安時代・12世紀
絹本著色大仏頂曼荼羅図
奈良国立博物館 重要文化財
大日金輪の座す須弥山の左側に毛皮の腰巻姿の明王か。
《十六羅漢像》
平安時代・11世紀(11世紀後半)
絹本著色十六羅漢像
東京国立博物館
諾距羅尊者(なこらそんじゃ):毛皮の腰巻姿の鬼。
阿氏多尊者(あじたそんじゃ):それぞれ虎の毛皮の腰巻、豹柄の肩掛の鬼が二体。
注荼半咤迦尊者(ちゅだはんたかそんじゃ):豹柄の腰巻の鬼。
05.2018
端午の節句 増上寺&東京タワー
今日はこどもの日でした。
ゴールデンウィークは如何お過ごしでしたか?
僕は連休初日の仕事帰りに増上寺と東京タワーを散歩。
まさか、鯉のぼりが見られるなんて、考えてもみませんでした。
やねよりたかい こいのぼり
おおきいまごいは おとうさん
ちいさいひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
・・・お母さんがいません!!!
青空に元気に泳ぐ雄姿を見て、
黄河を登って竜門をくぐると龍になる・・・中国の故事など、
いろいろ頭をよぎりました。

本殿の裏手に静かな場所を発見。
圓光大師堂(えんこうだいしどう)といい、平成21(2009)年に竣工されたばかりの新しい念仏道場だそうです。

本殿の裏からは東京タワーがこのように見えます。

東京タワーには大漁旗と大きな鯉のぼり、
そして無数に連なる鯉のぼりの姿は壮観でした。
ゴールデンウィークは如何お過ごしでしたか?
僕は連休初日の仕事帰りに増上寺と東京タワーを散歩。
まさか、鯉のぼりが見られるなんて、考えてもみませんでした。
やねよりたかい こいのぼり
おおきいまごいは おとうさん
ちいさいひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
・・・お母さんがいません!!!
青空に元気に泳ぐ雄姿を見て、
黄河を登って竜門をくぐると龍になる・・・中国の故事など、
いろいろ頭をよぎりました。



本殿の裏手に静かな場所を発見。
圓光大師堂(えんこうだいしどう)といい、平成21(2009)年に竣工されたばかりの新しい念仏道場だそうです。



本殿の裏からは東京タワーがこのように見えます。



東京タワーには大漁旗と大きな鯉のぼり、
そして無数に連なる鯉のぼりの姿は壮観でした。
22.2017
ギャラリー八重洲・東京:アイヌ民芸品展示会
1月20日(金)東京駅の八重洲地下街にてギャラリー八重洲・東京の前を通りがかり、
アイヌ民芸品展示会に立ち寄ってきました。
華やかな色彩と独特の文様の刺繍が目をひきました。
木彫りの実演もされており、その作品の繊細さに驚嘆しました。


アイヌ民族が受けてきた差別と偏見。
それに屈せずに受け継がれた民族文化。
下はギャラリーの看板作品の刺繍。

コースターの刺繍の体験をしてみました。簡単な図案にチャレンジです。
シンプルなチェーン・ステッチの連続。
小学校の家庭科の授業以来です。
閉店時間間際の体験でしたので、途中で中断。
残りは自宅で仕上げました。

どの民族文化にも言えることですが、
文化というものは異文化と融合したり相容れない部分をもちつつ独自の発展を遂げ、
ある段階に到達すると完成形と見做されます。
実際に体験してみると、次の作品ではこうしてみたい…などと欲が出てきます。
そのようにして文化が発展していった過程を想像してみると、
とても興味深く感じるのです。
アイヌ民芸品展示会に立ち寄ってきました。
華やかな色彩と独特の文様の刺繍が目をひきました。
木彫りの実演もされており、その作品の繊細さに驚嘆しました。






アイヌ民族が受けてきた差別と偏見。
それに屈せずに受け継がれた民族文化。
下はギャラリーの看板作品の刺繍。

コースターの刺繍の体験をしてみました。簡単な図案にチャレンジです。
シンプルなチェーン・ステッチの連続。
小学校の家庭科の授業以来です。
閉店時間間際の体験でしたので、途中で中断。
残りは自宅で仕上げました。


どの民族文化にも言えることですが、
文化というものは異文化と融合したり相容れない部分をもちつつ独自の発展を遂げ、
ある段階に到達すると完成形と見做されます。
実際に体験してみると、次の作品ではこうしてみたい…などと欲が出てきます。
そのようにして文化が発展していった過程を想像してみると、
とても興味深く感じるのです。