Information
■ライブ・スケジュール 詳細を見る
2023年
9月30日(土)Live CUSTER(ライブ·カスター)
14:00 Open/14:30 Start
地下鉄:千代田線湯島駅 銀座線上野広小路駅
JR御徒町駅
11月25日(土)Live CUSTER(ライブ·カスター)
14:00 Open/14:30 Start
地下鉄:千代田線湯島駅 銀座線上野広小路駅
JR御徒町駅

■ライブ・スケジュール 詳細を見る
2023年
9月30日(土)Live CUSTER(ライブ·カスター)
14:00 Open/14:30 Start
地下鉄:千代田線湯島駅 銀座線上野広小路駅
JR御徒町駅
11月25日(土)Live CUSTER(ライブ·カスター)
14:00 Open/14:30 Start
地下鉄:千代田線湯島駅 銀座線上野広小路駅
JR御徒町駅
02.2023
大航海 Verso Lo Schermo における考察 〜坂本龍一氏を偲んで
大航海 Verso Lo Schermo
絶対速度の風が船に吹き荒れる。
黒髪の僕は、風で呼吸もできず目を閉じる。(※)
最古の記憶よりもさらに古い記憶、
なぜ君は見えないのか?
舵のない船は偶然に
巨大なスクリーンに滑り込む。
空が落ちそうになる時、
月の上で僕は調律される。
“クラヴィーア “の中で大きな声。
女性ピアニストは常に永遠の休符を奏で、
出生前の振動を続ける。
夢の中では空中の渦のように
音が響き渡る。
イタリア語の歌詞で、"Verso Lo Schermo"とは「スクリーンに向かって」という意味です。
舞台となる宇宙船のスクリーンに映し出される銀河。それはジュール·ヴェルヌの「月世界旅行」から着想を得たSF世界とされます。
絶対速度の風とは時間が止まった状態。
黒髪の主人公はおそらくアジア人でしょう。
(※ I capelli nelli は I capelli neri [黒髪]の誤りか。)
彼は自分で行く先も定めることができず、宇宙へと旅立ちます。自分が持つ最も古い記憶よりも更に古い記憶を求めて。それは生まれる前の記憶を辿るタイムトラベルなのです。
世界が終わる日、月の上で調律される主人公。そして、その“クラヴィーア“は大声(産声)をあげる。
向かい合う女性ピアニストは永遠の休符を奏でている。夢の中で、生まれる前の鼓動の音が宇宙の中の渦(銀河)のように響き渡る。
ここで注目すべきは、イタリア語の歌詞の中で、"Klavir"だけドイツ語で、しかもわざわざ " " で強調されていることです。
明治時代の文明開化により、西洋文化が入ってきました。日本の音楽教育は主にドイツから取り入れられました。音楽室の壁に掛けられた肖像画を覚えていますか?バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス、ワーグナー···。もうお気付きでしょう。ドイツ語圏内の作曲家ばかりです。かの有名なピアノの教則本のバイエルもドイツ人です。坂本龍一氏もバッハやベートーヴェンを練習していたそうです。
つまり、月の上で調律される"Klavir"は坂本龍一氏自身を投影した(日本の)音楽家で、大声とは産声のことでしょう。誕生の瞬間です。そして、”永遠の休符を奏でる女性ピアニスト“とは母のことではないかと思うのです。また、空中に広がる渦とはスクリーンに映し出された銀河に他ならないでしょう。
この「大航海」は、生まれる前の記憶をたどる旅を宇宙旅行に投影したもの。更に言えば、ドイツの音楽教育の影響を受けながら育ったひとりの黒髪のアジア人音楽家が、自身の音楽のルーツを辿る旅。坂本龍一氏はこれをアジアから外に向けて発信して、音楽で冒険をしたかったのだと、僕はそう解釈しました。
坂本龍一氏のインスタグラムの最後の投稿、朽ちたピアノに自身の生没年月日を記した画像を見て、この歌詞の謎が解けました。

写真は母校、東京藝術大学の正門です。
ご冥福をお祈りします。
絶対速度の風が船に吹き荒れる。
黒髪の僕は、風で呼吸もできず目を閉じる。(※)
最古の記憶よりもさらに古い記憶、
なぜ君は見えないのか?
舵のない船は偶然に
巨大なスクリーンに滑り込む。
空が落ちそうになる時、
月の上で僕は調律される。
“クラヴィーア “の中で大きな声。
女性ピアニストは常に永遠の休符を奏で、
出生前の振動を続ける。
夢の中では空中の渦のように
音が響き渡る。
イタリア語の歌詞で、"Verso Lo Schermo"とは「スクリーンに向かって」という意味です。
舞台となる宇宙船のスクリーンに映し出される銀河。それはジュール·ヴェルヌの「月世界旅行」から着想を得たSF世界とされます。
絶対速度の風とは時間が止まった状態。
黒髪の主人公はおそらくアジア人でしょう。
(※ I capelli nelli は I capelli neri [黒髪]の誤りか。)
彼は自分で行く先も定めることができず、宇宙へと旅立ちます。自分が持つ最も古い記憶よりも更に古い記憶を求めて。それは生まれる前の記憶を辿るタイムトラベルなのです。
世界が終わる日、月の上で調律される主人公。そして、その“クラヴィーア“は大声(産声)をあげる。
向かい合う女性ピアニストは永遠の休符を奏でている。夢の中で、生まれる前の鼓動の音が宇宙の中の渦(銀河)のように響き渡る。
ここで注目すべきは、イタリア語の歌詞の中で、"Klavir"だけドイツ語で、しかもわざわざ " " で強調されていることです。
明治時代の文明開化により、西洋文化が入ってきました。日本の音楽教育は主にドイツから取り入れられました。音楽室の壁に掛けられた肖像画を覚えていますか?バッハ、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブラームス、ワーグナー···。もうお気付きでしょう。ドイツ語圏内の作曲家ばかりです。かの有名なピアノの教則本のバイエルもドイツ人です。坂本龍一氏もバッハやベートーヴェンを練習していたそうです。
つまり、月の上で調律される"Klavir"は坂本龍一氏自身を投影した(日本の)音楽家で、大声とは産声のことでしょう。誕生の瞬間です。そして、”永遠の休符を奏でる女性ピアニスト“とは母のことではないかと思うのです。また、空中に広がる渦とはスクリーンに映し出された銀河に他ならないでしょう。
この「大航海」は、生まれる前の記憶をたどる旅を宇宙旅行に投影したもの。更に言えば、ドイツの音楽教育の影響を受けながら育ったひとりの黒髪のアジア人音楽家が、自身の音楽のルーツを辿る旅。坂本龍一氏はこれをアジアから外に向けて発信して、音楽で冒険をしたかったのだと、僕はそう解釈しました。
坂本龍一氏のインスタグラムの最後の投稿、朽ちたピアノに自身の生没年月日を記した画像を見て、この歌詞の謎が解けました。

写真は母校、東京藝術大学の正門です。
ご冥福をお祈りします。
スポンサーサイト
31.2022
あなたのものではない戦争/Not Your War
《 あなたのものではない戦争》をYoutubeに掲載しました。
原曲はウクライナのロックバンド:オケアン·エリズィの《Не твоя війна (Ne tvoya viyna) /Not Your War》です。
2015年に発表されたこの曲が再び注目をあつめているのは、この曲がウクライナの人々の現在の気持ちを表しているからに他ならないと思います。
「カリーナの枝がうなだれる(ウクライナが泣いている)」
カリーナ(セイヨウカンボク)はウクライナを象徴する樹木です。
そしてロシアでは女性の象徴であり、ともに文化的に重要な樹木です。
一生懸命に愛情をこめて育てた子どもが、戦場にかり出され、今まさに生命を奪われようとしている・・・
これほど悲痛なことはありません。
戦争が長引くと、人々の関心が薄れがちです。
どうぞ原曲も聴いてみて下さい。
原曲はウクライナのロックバンド:オケアン·エリズィの《Не твоя війна (Ne tvoya viyna) /Not Your War》です。
2015年に発表されたこの曲が再び注目をあつめているのは、この曲がウクライナの人々の現在の気持ちを表しているからに他ならないと思います。
「カリーナの枝がうなだれる(ウクライナが泣いている)」
カリーナ(セイヨウカンボク)はウクライナを象徴する樹木です。
そしてロシアでは女性の象徴であり、ともに文化的に重要な樹木です。
一生懸命に愛情をこめて育てた子どもが、戦場にかり出され、今まさに生命を奪われようとしている・・・
これほど悲痛なことはありません。
戦争が長引くと、人々の関心が薄れがちです。
どうぞ原曲も聴いてみて下さい。
06.2019
My Ideal
今週はバレンタインでしたね。
My Ideal の動画をYoutubeに載せました。
どうぞ他の動画も合わせてご覧ください。
僕は心の中にいる理想の彼女を
見つけることが出来るだろうか
多分彼女は夢なのだが
次の角辺りで僕を待っているかも
僕は彼女の瞳の輝きに気づけるだろうか
他の人とは違う その瞳の輝きに
あるいは 通り過ぎて 気づかずにいるのか
その人が自分の理想の彼女だと
My Ideal の動画をYoutubeに載せました。
どうぞ他の動画も合わせてご覧ください。
僕は心の中にいる理想の彼女を
見つけることが出来るだろうか
多分彼女は夢なのだが
次の角辺りで僕を待っているかも
僕は彼女の瞳の輝きに気づけるだろうか
他の人とは違う その瞳の輝きに
あるいは 通り過ぎて 気づかずにいるのか
その人が自分の理想の彼女だと
04.2014
シューベルト:Auf dem Wasser zu Singen (水の上に歌える)~永遠の愛~
カスター・ライブが近づいてまいりました。
今日はシューベルトのドイツリート『Auf dem Wasser zu Singen(水の上に歌える)』について解説します。
Mitten im Schimmer der spiegelnden Wellen
Gleitet,wie Schwäne,der wankende Kahn:
Ach,auf der Freude sanftschimmernden Wellen
Gleitet die Seele dahin wie der Kahn;
Denn von dem Himmel herab auf die Wellen
Tanzet das Abendrot rund um den Kahn.
きらめく波の光の中を
白鳥のように揺れ行く小舟
ああ、穏やかにきらめく喜びの波の上を
私の心も小舟のように滑りゆく
天から夕焼けの光が波の上に射し
小舟のまわりで踊る
Über den Wipfeln des westlichen Haines
Winket uns freundlich der rötliche Schein;
Unter den Zweigen des östlichen Haines
Säuselt der Kalmus im rötlichen Schein;
Freude des Himmels und Ruhe des Haines
Atmet die Seel im errötenden Schein.
西の森の梢の上に
紅い光が親しげに私たちに手招きし
東の森の下では
紅い光の中で菖蒲がそよぐ
天の喜びと森の憩いに
心は紅い光の中で呼吸する
Ach,es entschwindet mit tauigem Flügel
Mir auf den wiegenden Wellen die Zeit;
Morgen entschwinde mit schimmerndem Flügel
Wieder wie gestern und heute die Zeit,
Bis ich auf höherem strahlendem Flügel
Selber entschwinde der wechselnden Zeit.
ああ、露にぬれた翼で
揺れる波の上を 私から時は過ぎ去る
明日もまた きらめく翼で時は過ぎ去る
昨日そして今日と同じ様に
やがて私自身も もっと光輝く翼に乗って
移りゆく時の流れに 消え去るだろう
この曲はFriedrich Leopold Graf zu Stolberg(フリードリヒ・レオポルト・シュトルベルク伯 1750-1819 )の詩にシューベルトが1823年に作曲したものです。元のタイトルはLied auf dem Wasser zu singen~Für meine Agnes(水の上に歌える歌~私のアグネスのために)でした。1782年にHenriette Eleonore Agnesと結婚し、彼女に献呈した詩です。ウィーンの河遊びと移ろいゆく時の流れをうたった詩ですが、新婚で幸せの絶頂期なのに、第3節に自らの死を書いて妻に捧げるなんて、縁起でもない…と思いませんか?
これにはドイツ・ロマン主義ならではの鍵があったのです。
ドイツ・ロマン主義の根底にはギリシャ神話があります。
ニュクス(夜の女神)はカオスの娘で、兄であり夫でもあるエレボス(闇・幽冥)との間にヘメラ(昼の女神)を産みます。ところがニュクスは単独でも双子の兄弟:ヒュプノス(眠りの神)とタナトス(死の神)と、そのの兄弟:オネイロス(夢の神)、その妹のエリス(不和と争いの女神)など、多数の神々を産みました。
つまり、「昼と夜」、「光と闇」、「生と死」という対極があり、これらの神々「夜の世界」の一族には「眠り=夢=安息=死」という連鎖があるのです。
(シューベルトの歌曲「死と乙女」では、死を拒む乙女に死神は、「私はおまえを苦しめるために来たのではない。安息を与えに来たのだ」と語りかけます。ここでの「死」は、恐ろしい苦痛ではなく、永遠の安息として描かれているのです。)
一方、ドイツ・ロマン主義の詩人ノヴァーリス(1772-1801)の長詩『夜の賛歌』(1800年)は、ドイツ文学史において重要な作品の一つです。シュレーゲル兄弟らと親交を持っていた彼は、婚約者ゾフィーの墓の前で霊感を受けて『夜の賛歌』を書いたといわれています。
恋人と死とキリストに起因されたこの詩は、夜とともに死から復活したキリストへの讃歌でもあります。昼に対して夜を讃え、「亡くなった恋人の住む死の国=夜の世界」つまり、死者の住む神秘的な夜の闇の領域が憧憬の対象となり、さらにキリスト教における「天国と聖母マリア」とも重なるのです。
こうした思想はワーグナーにも大きな影響を与えました。
『トリスタンとイゾルデ』または『トリスタン物語』という、イゾルデ (Isolde) の悲恋を描いた物語があります。もともとはケルト伝承で、中世には既に存在していました。ワーグナーの楽劇とはストーリーが異なっていますが、「アーサー王物語」や「ロミオとジュリエット」にも影響を与えた物語です。
ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』第2幕のトリスタンとイゾルデの二重唱で、「夜の国」を讃え、「愛の死」を歌い上げる場面は、ノヴァーリスの長詩『夜の賛歌』とまさに重なります。
これらのドイツ・ロマン主義の背景をふまえ、『Auf dem Wasser zu Singen(水の上に歌える)』を観賞してみましょう。
舞台は夕暮れという「昼から夜に変わる瞬間」、ちょうど「冥界との境界」=「生と死の境目」から始まります。
第1・2節では現在の(新婚の)幸せをうたっていますが、「白鳥」は処女性を象徴し、「菖蒲(アイリス)」はギリシャ神話の虹の女神:Iris(イリス)に由来し、天と地を結ぶ〈道〉であり、神々と人類の間を繋げる使者です。
そして第3節では、「やがて移ろいゆく時の流れに自分が消え去ってしまっても、この愛は消えることはない」と、死後も絶えることのない「永遠の愛」を誓うのです。
まさに、シュトルベルク伯の心から愛する妻へのプレゼントなのです。
今日はシューベルトのドイツリート『Auf dem Wasser zu Singen(水の上に歌える)』について解説します。
Mitten im Schimmer der spiegelnden Wellen
Gleitet,wie Schwäne,der wankende Kahn:
Ach,auf der Freude sanftschimmernden Wellen
Gleitet die Seele dahin wie der Kahn;
Denn von dem Himmel herab auf die Wellen
Tanzet das Abendrot rund um den Kahn.
きらめく波の光の中を
白鳥のように揺れ行く小舟
ああ、穏やかにきらめく喜びの波の上を
私の心も小舟のように滑りゆく
天から夕焼けの光が波の上に射し
小舟のまわりで踊る
Über den Wipfeln des westlichen Haines
Winket uns freundlich der rötliche Schein;
Unter den Zweigen des östlichen Haines
Säuselt der Kalmus im rötlichen Schein;
Freude des Himmels und Ruhe des Haines
Atmet die Seel im errötenden Schein.
西の森の梢の上に
紅い光が親しげに私たちに手招きし
東の森の下では
紅い光の中で菖蒲がそよぐ
天の喜びと森の憩いに
心は紅い光の中で呼吸する
Ach,es entschwindet mit tauigem Flügel
Mir auf den wiegenden Wellen die Zeit;
Morgen entschwinde mit schimmerndem Flügel
Wieder wie gestern und heute die Zeit,
Bis ich auf höherem strahlendem Flügel
Selber entschwinde der wechselnden Zeit.
ああ、露にぬれた翼で
揺れる波の上を 私から時は過ぎ去る
明日もまた きらめく翼で時は過ぎ去る
昨日そして今日と同じ様に
やがて私自身も もっと光輝く翼に乗って
移りゆく時の流れに 消え去るだろう
この曲はFriedrich Leopold Graf zu Stolberg(フリードリヒ・レオポルト・シュトルベルク伯 1750-1819 )の詩にシューベルトが1823年に作曲したものです。元のタイトルはLied auf dem Wasser zu singen~Für meine Agnes(水の上に歌える歌~私のアグネスのために)でした。1782年にHenriette Eleonore Agnesと結婚し、彼女に献呈した詩です。ウィーンの河遊びと移ろいゆく時の流れをうたった詩ですが、新婚で幸せの絶頂期なのに、第3節に自らの死を書いて妻に捧げるなんて、縁起でもない…と思いませんか?
これにはドイツ・ロマン主義ならではの鍵があったのです。
ドイツ・ロマン主義の根底にはギリシャ神話があります。
ニュクス(夜の女神)はカオスの娘で、兄であり夫でもあるエレボス(闇・幽冥)との間にヘメラ(昼の女神)を産みます。ところがニュクスは単独でも双子の兄弟:ヒュプノス(眠りの神)とタナトス(死の神)と、そのの兄弟:オネイロス(夢の神)、その妹のエリス(不和と争いの女神)など、多数の神々を産みました。
つまり、「昼と夜」、「光と闇」、「生と死」という対極があり、これらの神々「夜の世界」の一族には「眠り=夢=安息=死」という連鎖があるのです。
(シューベルトの歌曲「死と乙女」では、死を拒む乙女に死神は、「私はおまえを苦しめるために来たのではない。安息を与えに来たのだ」と語りかけます。ここでの「死」は、恐ろしい苦痛ではなく、永遠の安息として描かれているのです。)
一方、ドイツ・ロマン主義の詩人ノヴァーリス(1772-1801)の長詩『夜の賛歌』(1800年)は、ドイツ文学史において重要な作品の一つです。シュレーゲル兄弟らと親交を持っていた彼は、婚約者ゾフィーの墓の前で霊感を受けて『夜の賛歌』を書いたといわれています。
恋人と死とキリストに起因されたこの詩は、夜とともに死から復活したキリストへの讃歌でもあります。昼に対して夜を讃え、「亡くなった恋人の住む死の国=夜の世界」つまり、死者の住む神秘的な夜の闇の領域が憧憬の対象となり、さらにキリスト教における「天国と聖母マリア」とも重なるのです。
こうした思想はワーグナーにも大きな影響を与えました。
『トリスタンとイゾルデ』または『トリスタン物語』という、イゾルデ (Isolde) の悲恋を描いた物語があります。もともとはケルト伝承で、中世には既に存在していました。ワーグナーの楽劇とはストーリーが異なっていますが、「アーサー王物語」や「ロミオとジュリエット」にも影響を与えた物語です。
ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』第2幕のトリスタンとイゾルデの二重唱で、「夜の国」を讃え、「愛の死」を歌い上げる場面は、ノヴァーリスの長詩『夜の賛歌』とまさに重なります。
これらのドイツ・ロマン主義の背景をふまえ、『Auf dem Wasser zu Singen(水の上に歌える)』を観賞してみましょう。
舞台は夕暮れという「昼から夜に変わる瞬間」、ちょうど「冥界との境界」=「生と死の境目」から始まります。
第1・2節では現在の(新婚の)幸せをうたっていますが、「白鳥」は処女性を象徴し、「菖蒲(アイリス)」はギリシャ神話の虹の女神:Iris(イリス)に由来し、天と地を結ぶ〈道〉であり、神々と人類の間を繋げる使者です。
そして第3節では、「やがて移ろいゆく時の流れに自分が消え去ってしまっても、この愛は消えることはない」と、死後も絶えることのない「永遠の愛」を誓うのです。
まさに、シュトルベルク伯の心から愛する妻へのプレゼントなのです。
07.2014
5月のカスター・ライブ:ケルト&ドイツリート/シューベルトとシューマンについて。
ゴールデンウィークは如何お過ごしでしたか?5月17日(土)のカスターでのライブが間近に迫ってきました。フライヤーには記載してありませんが、次回のライブは、前半はケルト系のイギリス民謡とドイツリートを盛り込んだ、新緑の5月を意識したプログラムです。
シューベルト(1797-1828)とシューマン(1810-1856)。
シューベルト(Franz Peter Schubert)は生涯で600余曲のドイツリートを作り、「歌曲の王」と呼ばれることもあります。モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンといった古典主義時代からロマン主義時代に大きく転回する時期に先駆者的役割を果たしました。
一方、シューマン(Robert Alexander Schumann)は、それまでピアノ曲ばかりを作曲していたのに、ピアニスト:クララ・シューマン(Clara Josephine Schumann)と結婚した1840年には、1年ほどの間に『詩人の恋』作品48、『リーダークライス』作品24と作品39、『女の愛と生涯』作品42など180曲余りの歌曲を作曲しました。いわゆる「歌の年」です。
二人ともロマン派音楽を代表する作曲家ですが、シューベルトがピアノの伴奏を単なる和声的な支えにとどまらず、詩の持つ情緒を表現する上で重要な役割を果たした歌曲を作り、シューマンはそれをより一層徹底させたといえます。特に『詩人の恋』では、ハイネの詩を非常に深く解釈し、極端に短い前奏の後、まず歌で詩を語らせ、長い後奏で詩の内面を吐露する作風が特徴的です。(どちらが藝術的に上という意味ではありません。)
これらのドイツリートをイギリス地方の古い民謡と並べて聴くと、それぞれの持ち味がはっきり感じられることでしょう。
後半にはジャズやラテン語族のプログラムも沢山用意しております。これもピアニストに堀内なつみさんを迎えてこそ実現するのです。どうぞ足をお運びくださいね。
シューベルト(1797-1828)とシューマン(1810-1856)。
シューベルト(Franz Peter Schubert)は生涯で600余曲のドイツリートを作り、「歌曲の王」と呼ばれることもあります。モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンといった古典主義時代からロマン主義時代に大きく転回する時期に先駆者的役割を果たしました。
一方、シューマン(Robert Alexander Schumann)は、それまでピアノ曲ばかりを作曲していたのに、ピアニスト:クララ・シューマン(Clara Josephine Schumann)と結婚した1840年には、1年ほどの間に『詩人の恋』作品48、『リーダークライス』作品24と作品39、『女の愛と生涯』作品42など180曲余りの歌曲を作曲しました。いわゆる「歌の年」です。
二人ともロマン派音楽を代表する作曲家ですが、シューベルトがピアノの伴奏を単なる和声的な支えにとどまらず、詩の持つ情緒を表現する上で重要な役割を果たした歌曲を作り、シューマンはそれをより一層徹底させたといえます。特に『詩人の恋』では、ハイネの詩を非常に深く解釈し、極端に短い前奏の後、まず歌で詩を語らせ、長い後奏で詩の内面を吐露する作風が特徴的です。(どちらが藝術的に上という意味ではありません。)
これらのドイツリートをイギリス地方の古い民謡と並べて聴くと、それぞれの持ち味がはっきり感じられることでしょう。
後半にはジャズやラテン語族のプログラムも沢山用意しております。これもピアニストに堀内なつみさんを迎えてこそ実現するのです。どうぞ足をお運びくださいね。