Information
■ライブ・スケジュール 詳細を見る
2021年
3月16日(火)ヌーヴェルあばんせ 18:00 Open/19:00 Start 四谷三丁目駅
4月17日(土)Live CUSTER(カスター) 13:30 Open/1
4月20日(火)ヌーヴェルあばんせ 18:00 Open/19:00 Start 四谷三丁目駅

■ライブ・スケジュール 詳細を見る
2021年
3月16日(火)ヌーヴェルあばんせ 18:00 Open/19:00 Start 四谷三丁目駅
4月17日(土)Live CUSTER(カスター) 13:30 Open/1
4月20日(火)ヌーヴェルあばんせ 18:00 Open/19:00 Start 四谷三丁目駅
06.2019
My Ideal
今週はバレンタインでしたね。
My Ideal の動画をYoutubeに載せました。
どうぞ他の動画も合わせてご覧ください。
僕は心の中にいる理想の彼女を
見つけることが出来るだろうか
多分彼女は夢なのだが
次の角辺りで僕を待っているかも
僕は彼女の瞳の輝きに気づけるだろうか
他の人とは違う その瞳の輝きに
あるいは 通り過ぎて 気づかずにいるのか
その人が自分の理想の彼女だと
My Ideal の動画をYoutubeに載せました。
どうぞ他の動画も合わせてご覧ください。
僕は心の中にいる理想の彼女を
見つけることが出来るだろうか
多分彼女は夢なのだが
次の角辺りで僕を待っているかも
僕は彼女の瞳の輝きに気づけるだろうか
他の人とは違う その瞳の輝きに
あるいは 通り過ぎて 気づかずにいるのか
その人が自分の理想の彼女だと
スポンサーサイト
04.2014
シューベルト:Auf dem Wasser zu Singen (水の上に歌える)~永遠の愛~
カスター・ライブが近づいてまいりました。
今日はシューベルトのドイツリート『Auf dem Wasser zu Singen(水の上に歌える)』について解説します。
Mitten im Schimmer der spiegelnden Wellen
Gleitet,wie Schwäne,der wankende Kahn:
Ach,auf der Freude sanftschimmernden Wellen
Gleitet die Seele dahin wie der Kahn;
Denn von dem Himmel herab auf die Wellen
Tanzet das Abendrot rund um den Kahn.
きらめく波の光の中を
白鳥のように揺れ行く小舟
ああ、穏やかにきらめく喜びの波の上を
私の心も小舟のように滑りゆく
天から夕焼けの光が波の上に射し
小舟のまわりで踊る
Über den Wipfeln des westlichen Haines
Winket uns freundlich der rötliche Schein;
Unter den Zweigen des östlichen Haines
Säuselt der Kalmus im rötlichen Schein;
Freude des Himmels und Ruhe des Haines
Atmet die Seel im errötenden Schein.
西の森の梢の上に
紅い光が親しげに私たちに手招きし
東の森の下では
紅い光の中で菖蒲がそよぐ
天の喜びと森の憩いに
心は紅い光の中で呼吸する
Ach,es entschwindet mit tauigem Flügel
Mir auf den wiegenden Wellen die Zeit;
Morgen entschwinde mit schimmerndem Flügel
Wieder wie gestern und heute die Zeit,
Bis ich auf höherem strahlendem Flügel
Selber entschwinde der wechselnden Zeit.
ああ、露にぬれた翼で
揺れる波の上を 私から時は過ぎ去る
明日もまた きらめく翼で時は過ぎ去る
昨日そして今日と同じ様に
やがて私自身も もっと光輝く翼に乗って
移りゆく時の流れに 消え去るだろう
この曲はFriedrich Leopold Graf zu Stolberg(フリードリヒ・レオポルト・シュトルベルク伯 1750-1819 )の詩にシューベルトが1823年に作曲したものです。元のタイトルはLied auf dem Wasser zu singen~Für meine Agnes(水の上に歌える歌~私のアグネスのために)でした。1782年にHenriette Eleonore Agnesと結婚し、彼女に献呈した詩です。ウィーンの河遊びと移ろいゆく時の流れをうたった詩ですが、新婚で幸せの絶頂期なのに、第3節に自らの死を書いて妻に捧げるなんて、縁起でもない…と思いませんか?
これにはドイツ・ロマン主義ならではの鍵があったのです。
ドイツ・ロマン主義の根底にはギリシャ神話があります。
ニュクス(夜の女神)はカオスの娘で、兄であり夫でもあるエレボス(闇・幽冥)との間にヘメラ(昼の女神)を産みます。ところがニュクスは単独でも双子の兄弟:ヒュプノス(眠りの神)とタナトス(死の神)と、そのの兄弟:オネイロス(夢の神)、その妹のエリス(不和と争いの女神)など、多数の神々を産みました。
つまり、「昼と夜」、「光と闇」、「生と死」という対極があり、これらの神々「夜の世界」の一族には「眠り=夢=安息=死」という連鎖があるのです。
(シューベルトの歌曲「死と乙女」では、死を拒む乙女に死神は、「私はおまえを苦しめるために来たのではない。安息を与えに来たのだ」と語りかけます。ここでの「死」は、恐ろしい苦痛ではなく、永遠の安息として描かれているのです。)
一方、ドイツ・ロマン主義の詩人ノヴァーリス(1772-1801)の長詩『夜の賛歌』(1800年)は、ドイツ文学史において重要な作品の一つです。シュレーゲル兄弟らと親交を持っていた彼は、婚約者ゾフィーの墓の前で霊感を受けて『夜の賛歌』を書いたといわれています。
恋人と死とキリストに起因されたこの詩は、夜とともに死から復活したキリストへの讃歌でもあります。昼に対して夜を讃え、「亡くなった恋人の住む死の国=夜の世界」つまり、死者の住む神秘的な夜の闇の領域が憧憬の対象となり、さらにキリスト教における「天国と聖母マリア」とも重なるのです。
こうした思想はワーグナーにも大きな影響を与えました。
『トリスタンとイゾルデ』または『トリスタン物語』という、イゾルデ (Isolde) の悲恋を描いた物語があります。もともとはケルト伝承で、中世には既に存在していました。ワーグナーの楽劇とはストーリーが異なっていますが、「アーサー王物語」や「ロミオとジュリエット」にも影響を与えた物語です。
ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』第2幕のトリスタンとイゾルデの二重唱で、「夜の国」を讃え、「愛の死」を歌い上げる場面は、ノヴァーリスの長詩『夜の賛歌』とまさに重なります。
これらのドイツ・ロマン主義の背景をふまえ、『Auf dem Wasser zu Singen(水の上に歌える)』を観賞してみましょう。
舞台は夕暮れという「昼から夜に変わる瞬間」、ちょうど「冥界との境界」=「生と死の境目」から始まります。
第1・2節では現在の(新婚の)幸せをうたっていますが、「白鳥」は処女性を象徴し、「菖蒲(アイリス)」はギリシャ神話の虹の女神:Iris(イリス)に由来し、天と地を結ぶ〈道〉であり、神々と人類の間を繋げる使者です。
そして第3節では、「やがて移ろいゆく時の流れに自分が消え去ってしまっても、この愛は消えることはない」と、死後も絶えることのない「永遠の愛」を誓うのです。
まさに、シュトルベルク伯の心から愛する妻へのプレゼントなのです。
今日はシューベルトのドイツリート『Auf dem Wasser zu Singen(水の上に歌える)』について解説します。
Mitten im Schimmer der spiegelnden Wellen
Gleitet,wie Schwäne,der wankende Kahn:
Ach,auf der Freude sanftschimmernden Wellen
Gleitet die Seele dahin wie der Kahn;
Denn von dem Himmel herab auf die Wellen
Tanzet das Abendrot rund um den Kahn.
きらめく波の光の中を
白鳥のように揺れ行く小舟
ああ、穏やかにきらめく喜びの波の上を
私の心も小舟のように滑りゆく
天から夕焼けの光が波の上に射し
小舟のまわりで踊る
Über den Wipfeln des westlichen Haines
Winket uns freundlich der rötliche Schein;
Unter den Zweigen des östlichen Haines
Säuselt der Kalmus im rötlichen Schein;
Freude des Himmels und Ruhe des Haines
Atmet die Seel im errötenden Schein.
西の森の梢の上に
紅い光が親しげに私たちに手招きし
東の森の下では
紅い光の中で菖蒲がそよぐ
天の喜びと森の憩いに
心は紅い光の中で呼吸する
Ach,es entschwindet mit tauigem Flügel
Mir auf den wiegenden Wellen die Zeit;
Morgen entschwinde mit schimmerndem Flügel
Wieder wie gestern und heute die Zeit,
Bis ich auf höherem strahlendem Flügel
Selber entschwinde der wechselnden Zeit.
ああ、露にぬれた翼で
揺れる波の上を 私から時は過ぎ去る
明日もまた きらめく翼で時は過ぎ去る
昨日そして今日と同じ様に
やがて私自身も もっと光輝く翼に乗って
移りゆく時の流れに 消え去るだろう
この曲はFriedrich Leopold Graf zu Stolberg(フリードリヒ・レオポルト・シュトルベルク伯 1750-1819 )の詩にシューベルトが1823年に作曲したものです。元のタイトルはLied auf dem Wasser zu singen~Für meine Agnes(水の上に歌える歌~私のアグネスのために)でした。1782年にHenriette Eleonore Agnesと結婚し、彼女に献呈した詩です。ウィーンの河遊びと移ろいゆく時の流れをうたった詩ですが、新婚で幸せの絶頂期なのに、第3節に自らの死を書いて妻に捧げるなんて、縁起でもない…と思いませんか?
これにはドイツ・ロマン主義ならではの鍵があったのです。
ドイツ・ロマン主義の根底にはギリシャ神話があります。
ニュクス(夜の女神)はカオスの娘で、兄であり夫でもあるエレボス(闇・幽冥)との間にヘメラ(昼の女神)を産みます。ところがニュクスは単独でも双子の兄弟:ヒュプノス(眠りの神)とタナトス(死の神)と、そのの兄弟:オネイロス(夢の神)、その妹のエリス(不和と争いの女神)など、多数の神々を産みました。
つまり、「昼と夜」、「光と闇」、「生と死」という対極があり、これらの神々「夜の世界」の一族には「眠り=夢=安息=死」という連鎖があるのです。
(シューベルトの歌曲「死と乙女」では、死を拒む乙女に死神は、「私はおまえを苦しめるために来たのではない。安息を与えに来たのだ」と語りかけます。ここでの「死」は、恐ろしい苦痛ではなく、永遠の安息として描かれているのです。)
一方、ドイツ・ロマン主義の詩人ノヴァーリス(1772-1801)の長詩『夜の賛歌』(1800年)は、ドイツ文学史において重要な作品の一つです。シュレーゲル兄弟らと親交を持っていた彼は、婚約者ゾフィーの墓の前で霊感を受けて『夜の賛歌』を書いたといわれています。
恋人と死とキリストに起因されたこの詩は、夜とともに死から復活したキリストへの讃歌でもあります。昼に対して夜を讃え、「亡くなった恋人の住む死の国=夜の世界」つまり、死者の住む神秘的な夜の闇の領域が憧憬の対象となり、さらにキリスト教における「天国と聖母マリア」とも重なるのです。
こうした思想はワーグナーにも大きな影響を与えました。
『トリスタンとイゾルデ』または『トリスタン物語』という、イゾルデ (Isolde) の悲恋を描いた物語があります。もともとはケルト伝承で、中世には既に存在していました。ワーグナーの楽劇とはストーリーが異なっていますが、「アーサー王物語」や「ロミオとジュリエット」にも影響を与えた物語です。
ワーグナーの楽劇『トリスタンとイゾルデ』第2幕のトリスタンとイゾルデの二重唱で、「夜の国」を讃え、「愛の死」を歌い上げる場面は、ノヴァーリスの長詩『夜の賛歌』とまさに重なります。
これらのドイツ・ロマン主義の背景をふまえ、『Auf dem Wasser zu Singen(水の上に歌える)』を観賞してみましょう。
舞台は夕暮れという「昼から夜に変わる瞬間」、ちょうど「冥界との境界」=「生と死の境目」から始まります。
第1・2節では現在の(新婚の)幸せをうたっていますが、「白鳥」は処女性を象徴し、「菖蒲(アイリス)」はギリシャ神話の虹の女神:Iris(イリス)に由来し、天と地を結ぶ〈道〉であり、神々と人類の間を繋げる使者です。
そして第3節では、「やがて移ろいゆく時の流れに自分が消え去ってしまっても、この愛は消えることはない」と、死後も絶えることのない「永遠の愛」を誓うのです。
まさに、シュトルベルク伯の心から愛する妻へのプレゼントなのです。
07.2014
5月のカスター・ライブ:ケルト&ドイツリート/シューベルトとシューマンについて。
ゴールデンウィークは如何お過ごしでしたか?5月17日(土)のカスターでのライブが間近に迫ってきました。フライヤーには記載してありませんが、次回のライブは、前半はケルト系のイギリス民謡とドイツリートを盛り込んだ、新緑の5月を意識したプログラムです。
シューベルト(1797-1828)とシューマン(1810-1856)。
シューベルト(Franz Peter Schubert)は生涯で600余曲のドイツリートを作り、「歌曲の王」と呼ばれることもあります。モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンといった古典主義時代からロマン主義時代に大きく転回する時期に先駆者的役割を果たしました。
一方、シューマン(Robert Alexander Schumann)は、それまでピアノ曲ばかりを作曲していたのに、ピアニスト:クララ・シューマン(Clara Josephine Schumann)と結婚した1840年には、1年ほどの間に『詩人の恋』作品48、『リーダークライス』作品24と作品39、『女の愛と生涯』作品42など180曲余りの歌曲を作曲しました。いわゆる「歌の年」です。
二人ともロマン派音楽を代表する作曲家ですが、シューベルトがピアノの伴奏を単なる和声的な支えにとどまらず、詩の持つ情緒を表現する上で重要な役割を果たした歌曲を作り、シューマンはそれをより一層徹底させたといえます。特に『詩人の恋』では、ハイネの詩を非常に深く解釈し、極端に短い前奏の後、まず歌で詩を語らせ、長い後奏で詩の内面を吐露する作風が特徴的です。(どちらが藝術的に上という意味ではありません。)
これらのドイツリートをイギリス地方の古い民謡と並べて聴くと、それぞれの持ち味がはっきり感じられることでしょう。
後半にはジャズやラテン語族のプログラムも沢山用意しております。これもピアニストに堀内なつみさんを迎えてこそ実現するのです。どうぞ足をお運びくださいね。
シューベルト(1797-1828)とシューマン(1810-1856)。
シューベルト(Franz Peter Schubert)は生涯で600余曲のドイツリートを作り、「歌曲の王」と呼ばれることもあります。モーツァルト、ハイドン、ベートーヴェンといった古典主義時代からロマン主義時代に大きく転回する時期に先駆者的役割を果たしました。
一方、シューマン(Robert Alexander Schumann)は、それまでピアノ曲ばかりを作曲していたのに、ピアニスト:クララ・シューマン(Clara Josephine Schumann)と結婚した1840年には、1年ほどの間に『詩人の恋』作品48、『リーダークライス』作品24と作品39、『女の愛と生涯』作品42など180曲余りの歌曲を作曲しました。いわゆる「歌の年」です。
二人ともロマン派音楽を代表する作曲家ですが、シューベルトがピアノの伴奏を単なる和声的な支えにとどまらず、詩の持つ情緒を表現する上で重要な役割を果たした歌曲を作り、シューマンはそれをより一層徹底させたといえます。特に『詩人の恋』では、ハイネの詩を非常に深く解釈し、極端に短い前奏の後、まず歌で詩を語らせ、長い後奏で詩の内面を吐露する作風が特徴的です。(どちらが藝術的に上という意味ではありません。)
これらのドイツリートをイギリス地方の古い民謡と並べて聴くと、それぞれの持ち味がはっきり感じられることでしょう。
後半にはジャズやラテン語族のプログラムも沢山用意しております。これもピアニストに堀内なつみさんを迎えてこそ実現するのです。どうぞ足をお運びくださいね。
11.2013
「定命」と「夏の名残りのバラ」
昨日NHK Eテレ「SWITCH インタビュー達人達」にて瀬戸内寂聴さんとEXILE ATSUSHIさんの対談を見ました。
印象に残ったのは、「代受苦(だいじゅく)」の話。
亡くなった方は私たちの代わりに死んでくれたのです。
私たちをこの世に残すために、苦しみを自分が引き受けて死んでくれたのです。
これを仏教では「代受苦」といいます。
ですから私たちはその人たちを弔わなければいけないし、いつまでも忘れてはならないのです。
つまり代受苦で死んでくれた人のおかげで私たちは生きている、ということ。
番組では例として3.11の震災の犠牲者のことをとり上げていましたが、僕は戦争の犠牲者のことが脳裏に浮かびました。特に8月は6日の広島と9日の長崎の原爆投下、終戦記念日と続き、お盆の時期でもあります。他にも飛行機や列車の事故の犠牲者など、愛する人を亡くされて辛い思いをしている方は大勢いらっしゃることでしょう。
そして番組は「定命(じょうみょう)」の話に進みました。「定命」とは仏教においては生れ落ちる前に定められた寿命のことです。人はこの定命の分は生きる義務があるのだそうです。つまり自ら命を絶ってはいけないということ。
「愛する人が亡くなってしまったら、死を考える」という話にさしかかったとき、僕の脳裏に浮かんだのは、アイルランド民謡の「夏の名残りのバラ」でした。「庭の千草」というタイトルでも知られている曲です。
「愛別離苦」という言葉があります。
仏教でいう、八苦の一つで、親愛な者と別れるつらさ、親子・夫婦など、愛する人と生別または死別する苦痛や悲しみのことです。
「夏の名残りのバラ」では、親愛なる者をすべて失い、たった一人で生きていく虚しさを悲観した主人公が、夏に最後に咲き残った1輪のバラと自らを重ね合わせ、バラの花弁をそっと地面に撒きます。先に亡くなった仲間のもとへ。そして、自分もすぐに後を追うだろうと…。
自分と同じ境遇におちいったバラへの愛情ともいえますが、少々身勝手な感じがするのは僕だけでしょうか?老境に入った方の心境を歌ったものでしょうが、愛別離苦を乗り越えて、定命を全うしなくてはなりません。やがて訪れるその時まで。

夏の名残りのバラ (The Last Rose of Summer)
'Tis the last rose of summer,
Left blooming alone;
All her lovely companions
Are faded and gone;
No flower of her kindred,
No rosebud is nigh,
To reflect back her blushes,
Or give sigh for sigh!
ただ一人取り残されて咲いている夏の最後のバラ
同じ木のバラの花は既に消え失せてしまった
同じ種類のバラの花もつぼみも近くには無い
(美しかった)バラ色を思い起こしては
ただため息をつくばかり!
I'll not leave thee, thou lone one,
To pine on the stem;
Since the lovely are sleeping,
Go sleep thou with them.
Thus kindly I scatter
Thy leaves o'er the bed
Where thy mates of the garden
Lie scentless and dead.
その茎の上で(仲間を)思い煩う汝を
そのまま一人にはしておかない
美しき仲間たちは永遠の眠りについているから。
汝も彼らとともに行き眠らん
こうして私は汝の花弁を優しく寝床(地面)にまき散らす
庭の汝の仲間たちが香りもなく枯れ果てたその上に。
So soon may I follow,
When friendships decay,
And from Love's shining circle
The gems drop away!
When true hearts lie withered,
And fond ones are flown,
Oh! who would inhabit
This bleak world alone?
直ぐに私も後を追うだろう
友情が朽ち果て
愛の光輝く(家族や親しい友人たちの)輪から
宝石(のように貴重な友情)が零れ落ちてしまったら!
心から打ち解けることができる仲間がいなくなり
愛する者がいなくなったら
おお、誰がこの寂しい世の中で
一人で生きていけるだろうか?
印象に残ったのは、「代受苦(だいじゅく)」の話。
亡くなった方は私たちの代わりに死んでくれたのです。
私たちをこの世に残すために、苦しみを自分が引き受けて死んでくれたのです。
これを仏教では「代受苦」といいます。
ですから私たちはその人たちを弔わなければいけないし、いつまでも忘れてはならないのです。
つまり代受苦で死んでくれた人のおかげで私たちは生きている、ということ。
番組では例として3.11の震災の犠牲者のことをとり上げていましたが、僕は戦争の犠牲者のことが脳裏に浮かびました。特に8月は6日の広島と9日の長崎の原爆投下、終戦記念日と続き、お盆の時期でもあります。他にも飛行機や列車の事故の犠牲者など、愛する人を亡くされて辛い思いをしている方は大勢いらっしゃることでしょう。
そして番組は「定命(じょうみょう)」の話に進みました。「定命」とは仏教においては生れ落ちる前に定められた寿命のことです。人はこの定命の分は生きる義務があるのだそうです。つまり自ら命を絶ってはいけないということ。
「愛する人が亡くなってしまったら、死を考える」という話にさしかかったとき、僕の脳裏に浮かんだのは、アイルランド民謡の「夏の名残りのバラ」でした。「庭の千草」というタイトルでも知られている曲です。
「愛別離苦」という言葉があります。
仏教でいう、八苦の一つで、親愛な者と別れるつらさ、親子・夫婦など、愛する人と生別または死別する苦痛や悲しみのことです。
「夏の名残りのバラ」では、親愛なる者をすべて失い、たった一人で生きていく虚しさを悲観した主人公が、夏に最後に咲き残った1輪のバラと自らを重ね合わせ、バラの花弁をそっと地面に撒きます。先に亡くなった仲間のもとへ。そして、自分もすぐに後を追うだろうと…。
自分と同じ境遇におちいったバラへの愛情ともいえますが、少々身勝手な感じがするのは僕だけでしょうか?老境に入った方の心境を歌ったものでしょうが、愛別離苦を乗り越えて、定命を全うしなくてはなりません。やがて訪れるその時まで。

夏の名残りのバラ (The Last Rose of Summer)
'Tis the last rose of summer,
Left blooming alone;
All her lovely companions
Are faded and gone;
No flower of her kindred,
No rosebud is nigh,
To reflect back her blushes,
Or give sigh for sigh!
ただ一人取り残されて咲いている夏の最後のバラ
同じ木のバラの花は既に消え失せてしまった
同じ種類のバラの花もつぼみも近くには無い
(美しかった)バラ色を思い起こしては
ただため息をつくばかり!
I'll not leave thee, thou lone one,
To pine on the stem;
Since the lovely are sleeping,
Go sleep thou with them.
Thus kindly I scatter
Thy leaves o'er the bed
Where thy mates of the garden
Lie scentless and dead.
その茎の上で(仲間を)思い煩う汝を
そのまま一人にはしておかない
美しき仲間たちは永遠の眠りについているから。
汝も彼らとともに行き眠らん
こうして私は汝の花弁を優しく寝床(地面)にまき散らす
庭の汝の仲間たちが香りもなく枯れ果てたその上に。
So soon may I follow,
When friendships decay,
And from Love's shining circle
The gems drop away!
When true hearts lie withered,
And fond ones are flown,
Oh! who would inhabit
This bleak world alone?
直ぐに私も後を追うだろう
友情が朽ち果て
愛の光輝く(家族や親しい友人たちの)輪から
宝石(のように貴重な友情)が零れ落ちてしまったら!
心から打ち解けることができる仲間がいなくなり
愛する者がいなくなったら
おお、誰がこの寂しい世の中で
一人で生きていけるだろうか?
25.2013
イギリス民謡とケルト文化
今日紹介するCDは、「ベスト・オブEMIクラシックス イギリス民謡/ クラシック」。ザ・スコラーズ、キングス・シンガーズ、ロジェー・ワーグナー合唱団といった定評のある名盤からイギリスの歌ばかりを収録したものです。アレンジが洗練されているため、中世の時代を再現しているかというと疑問ですが、優しい歌声と響き、ハーモニーは秀逸です。イギリス民謡は、アイルランド民謡、スコットランド民謡、ウェールズ民謡、イングランド民謡の総称で、ケルト音楽と一括できないのですが、ケルト色を感じさせるアルバムになっています。

ベスト・オブEMIクラシックス イギリス民謡/ クラシック
ケルト文化は、ヨーロッパにおいて2500年以上も歴史があります。古代ケルト人は文字をもたず、宗教は自然崇拝の多神教であり、神話は口承されていきました。それ故、多くの謎につつまれています。ヨーロッパ大陸ではケルト文化とギリシャ・ローマ文化が融合してしまうのですが、イギリスは島国のため、ギリシャ・ローマ文化に圧迫されながらも、ケルト文化が残っているところがあるのです。
「ドルイド」(Druid)とは、ケルト人社会における祭司のことで、その影響力は宗教上のみならず、政治的にもかなり大きなものだったようです。ドルイドの宗教上の特徴の一つは、森や木々と深く結びついていることです。例えば「スカボロー・フェア」の歌詞では「パセリ」「セージ」「ローズマリー」「タイム」の4種類のハーブの名前が呪文のように何度も繰り返されます。また「トネリコの木立」にはトネリコとブルーベル(釣鐘草)が登場しますが、ブルーベルが鳴り響くと死者の弔いの鐘だとされており、「スコットランドの釣鐘草」も戦地に赴く恋人を心配する内容になっています。
ドルイドたちは、魔術や呪文における超自然的世界観と、妖精や精霊の世界に代表される、輪廻転生の死生観を持っていました。そして、その民間信仰はウィリアム・シェイクスピアの時代になっても健在だったようです。よく万霊節や夏至の頃に夜になって現れる「妖精の世界」は、「黄泉の世界」「死者の世界との接点」とされていたのですね。
今日では妖精(フェアリー)は人間に好意的で、優しく愛らしいイメージですが、歴史的に見るとそうではなく、様々な姿をしており、魔法使いや魔女と同じような扱いだったようです。
例えば、フェアリーが人間の子どもをさらって代わりに彼らの子どもを置いていくという「取り替え子」(チェンジリング)の迷信は中世では広く伝わっており、シェイクスピアの劇作『真夏の夜の夢』では、妖精王オーベロンとタイターニアが取り替え子の少年をどちらの子とするかで仲たがいをします。
日本ではイギリス民謡は伊沢修二らによって明治時代の唱歌の規範となったため、日本人にとってなじみ深い曲がたくさんあります。ところが、「蛍の光」のように「昔の友」と過ごした時間のことを歌った歌が、蛍雪の功の故事や、千島や沖縄などの領土を扱った歌詞になり、教育や軍国主義と結びついてしまったこと、また「庭の千草」の原題は「夏の名残のバラ」といいますが、日本語の歌詞がつけられるときに、当時の日本人の感性にあうようにバラから白菊に置き換えられたことなど、今思えば少し残念です。もともとは恋の歌であったものに、花鳥風月の歌詞があてはめられた例を挙げるときりがありません。
というわけで、英詩やメロディー・ラインからケルト文化、ギリシャ・ローマ神話文化、キリスト教文化のうち、どの影響を強くうけているかを紐解いていくアプローチの仕方も楽しそうだと思ったのでした。
収録曲
1.ダニー・ボーイ(アイルランド民謡)/ ロジェー・ワーグナー合唱団
2.アフトンの流れ(スピルマン)/ ロジェー・ワーグナー合唱団
3.春の日の花と輝く(アイルランド民謡)/ ロジェー・ワーグナー合唱団
4.やさしき愛の歌(モロイ)/ ロジェー・ワーグナー合唱団
5.故郷の空(スコットランド民謡)/ ロジェー・ワーグナー合唱団
6.夜もすがら(ウェールズ民謡)/ ロジェー・ワーグナー合唱団
7.ハーレックの人々(ウェールズ民謡)/ ロジェー・ワーグナー合唱団
8.スカーボロ・フェア(イングランド民謡)/ キングズ・シンガーズ
9.スカイ・ボート・ソング(スコットランド民謡)/ キングズ・シンガーズ
10.リンカーンシャーの密猟者(イングランド民謡)/ キングズ・シンガーズ
11.ロッホ・ローモンド(スコットランド民謡)/ キングズ・シンガーズ
12.リッチモンド・ヒルの娘(イングランド民謡)/ キングズ・シンガーズ
13.サリー・ガーデンズ(アイルランド民謡)/ キングズ・シンガーズ
14.トネリコの木立(ウェールズ民謡)/ キングズ・シンガーズ
15.スコットランドの釣鐘草(スコットランド民謡)/ ザ・スコラーズ
16.アニー・ローリー(スコットランド民謡)/ ザ・スコラーズ
17.グリーンスリーヴズ(イングランド民謡)/ ザ・スコラーズ
18.グリッグ・フェア(イングランド民謡)/ ザ・スコラーズ
19.ホーム・スウィート・ホーム《埴生の宿》(アイルランド民謡)/ ザ・スコラーズ
20.庭の千草(スコットランド民謡)/ ザ・スコラーズ
21.蛍の光《昔の友》アイルランド民謡)/ ザ・スコラーズ

ベスト・オブEMIクラシックス イギリス民謡/ クラシック
ケルト文化は、ヨーロッパにおいて2500年以上も歴史があります。古代ケルト人は文字をもたず、宗教は自然崇拝の多神教であり、神話は口承されていきました。それ故、多くの謎につつまれています。ヨーロッパ大陸ではケルト文化とギリシャ・ローマ文化が融合してしまうのですが、イギリスは島国のため、ギリシャ・ローマ文化に圧迫されながらも、ケルト文化が残っているところがあるのです。
「ドルイド」(Druid)とは、ケルト人社会における祭司のことで、その影響力は宗教上のみならず、政治的にもかなり大きなものだったようです。ドルイドの宗教上の特徴の一つは、森や木々と深く結びついていることです。例えば「スカボロー・フェア」の歌詞では「パセリ」「セージ」「ローズマリー」「タイム」の4種類のハーブの名前が呪文のように何度も繰り返されます。また「トネリコの木立」にはトネリコとブルーベル(釣鐘草)が登場しますが、ブルーベルが鳴り響くと死者の弔いの鐘だとされており、「スコットランドの釣鐘草」も戦地に赴く恋人を心配する内容になっています。
ドルイドたちは、魔術や呪文における超自然的世界観と、妖精や精霊の世界に代表される、輪廻転生の死生観を持っていました。そして、その民間信仰はウィリアム・シェイクスピアの時代になっても健在だったようです。よく万霊節や夏至の頃に夜になって現れる「妖精の世界」は、「黄泉の世界」「死者の世界との接点」とされていたのですね。
今日では妖精(フェアリー)は人間に好意的で、優しく愛らしいイメージですが、歴史的に見るとそうではなく、様々な姿をしており、魔法使いや魔女と同じような扱いだったようです。
例えば、フェアリーが人間の子どもをさらって代わりに彼らの子どもを置いていくという「取り替え子」(チェンジリング)の迷信は中世では広く伝わっており、シェイクスピアの劇作『真夏の夜の夢』では、妖精王オーベロンとタイターニアが取り替え子の少年をどちらの子とするかで仲たがいをします。
日本ではイギリス民謡は伊沢修二らによって明治時代の唱歌の規範となったため、日本人にとってなじみ深い曲がたくさんあります。ところが、「蛍の光」のように「昔の友」と過ごした時間のことを歌った歌が、蛍雪の功の故事や、千島や沖縄などの領土を扱った歌詞になり、教育や軍国主義と結びついてしまったこと、また「庭の千草」の原題は「夏の名残のバラ」といいますが、日本語の歌詞がつけられるときに、当時の日本人の感性にあうようにバラから白菊に置き換えられたことなど、今思えば少し残念です。もともとは恋の歌であったものに、花鳥風月の歌詞があてはめられた例を挙げるときりがありません。
というわけで、英詩やメロディー・ラインからケルト文化、ギリシャ・ローマ神話文化、キリスト教文化のうち、どの影響を強くうけているかを紐解いていくアプローチの仕方も楽しそうだと思ったのでした。
収録曲
1.ダニー・ボーイ(アイルランド民謡)/ ロジェー・ワーグナー合唱団
2.アフトンの流れ(スピルマン)/ ロジェー・ワーグナー合唱団
3.春の日の花と輝く(アイルランド民謡)/ ロジェー・ワーグナー合唱団
4.やさしき愛の歌(モロイ)/ ロジェー・ワーグナー合唱団
5.故郷の空(スコットランド民謡)/ ロジェー・ワーグナー合唱団
6.夜もすがら(ウェールズ民謡)/ ロジェー・ワーグナー合唱団
7.ハーレックの人々(ウェールズ民謡)/ ロジェー・ワーグナー合唱団
8.スカーボロ・フェア(イングランド民謡)/ キングズ・シンガーズ
9.スカイ・ボート・ソング(スコットランド民謡)/ キングズ・シンガーズ
10.リンカーンシャーの密猟者(イングランド民謡)/ キングズ・シンガーズ
11.ロッホ・ローモンド(スコットランド民謡)/ キングズ・シンガーズ
12.リッチモンド・ヒルの娘(イングランド民謡)/ キングズ・シンガーズ
13.サリー・ガーデンズ(アイルランド民謡)/ キングズ・シンガーズ
14.トネリコの木立(ウェールズ民謡)/ キングズ・シンガーズ
15.スコットランドの釣鐘草(スコットランド民謡)/ ザ・スコラーズ
16.アニー・ローリー(スコットランド民謡)/ ザ・スコラーズ
17.グリーンスリーヴズ(イングランド民謡)/ ザ・スコラーズ
18.グリッグ・フェア(イングランド民謡)/ ザ・スコラーズ
19.ホーム・スウィート・ホーム《埴生の宿》(アイルランド民謡)/ ザ・スコラーズ
20.庭の千草(スコットランド民謡)/ ザ・スコラーズ
21.蛍の光《昔の友》アイルランド民謡)/ ザ・スコラーズ