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■ライブ・スケジュール 詳細を見る
2023年
9月30日(土)Live CUSTER(ライブ·カスター)
14:00 Open/14:30 Start
地下鉄:千代田線湯島駅 銀座線上野広小路駅
JR御徒町駅
11月25日(土)Live CUSTER(ライブ·カスター)
14:00 Open/14:30 Start
地下鉄:千代田線湯島駅 銀座線上野広小路駅
JR御徒町駅

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9月30日(土)Live CUSTER(ライブ·カスター)
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JR御徒町駅
11月25日(土)Live CUSTER(ライブ·カスター)
14:00 Open/14:30 Start
地下鉄:千代田線湯島駅 銀座線上野広小路駅
JR御徒町駅
02.2019
黒田記念館の特別室公開「湖畔」「智・感・情」「読書」「舞妓」
先日、上野公園の母校のすぐ隣にある黒田記念館を訪れました。
茶色のスクラッチタイルとイオニア式の列柱が特徴的な美しい建物です。
仕事帰りに時折訪れてはいるのですが、この日は
日本近代洋画の父と称される黒田清輝(1866-1924)の代表作「湖畔」などを所蔵している
特別室が公開されるということで、 雨の中、足を運んだ次第です。

中に入ると荷物を預かってくれ、フラッシュをたかなければ写真撮影もOKとのこと。
通常公開されている展示室の入り口には
高村光太郎作「黒田清輝像」が我々を出迎えてくれており、
絵画も前回訪問した時と全て入れ替わっていました。

特別室は暗い緑色の壁で、とても格調高い空間でした。
「読書」「舞妓」「湖畔」「智・感・情」
これらの作品はすべて重要文化財です。
重要文化財とは国宝の次にランク付けられ、
重要美術品よりも格上とされているのだそうです。


黒田清輝は薩摩藩士の裕福な家に生まれました。
明治政府がフランスの法律や刑法を参考にしていたため、
当時法律を学ぶ者はフランス語が必須だったそうです。
黒田清輝も法律を学びに渡仏し、絵画は趣味だったようです。
本人の遺言により、遺産で東京美術学校の教授であった岡田信一郎氏の設計で
黒田記念館を建て、美術の研究の礎を築いたのです。
2001年にフランスのグレー·シュル·ロワン市に、彼の名前を冠した「黒田清輝通り」が誕生しました。
GUREZ-SUR-LOING
Rue KURODA Seiki
Peintre japonais
(1866-1924)
日本人で初めての快挙だそうです。

日が短くなり、17時前だというのにもうこの暗さです。
ここが入館無料だということをご存知ない方が多いのではないでしょうか?
特別室が公開されるのは新年、春、秋の3期間なので、
その時期がお勧めです。
茶色のスクラッチタイルとイオニア式の列柱が特徴的な美しい建物です。
仕事帰りに時折訪れてはいるのですが、この日は
日本近代洋画の父と称される黒田清輝(1866-1924)の代表作「湖畔」などを所蔵している
特別室が公開されるということで、 雨の中、足を運んだ次第です。


中に入ると荷物を預かってくれ、フラッシュをたかなければ写真撮影もOKとのこと。
通常公開されている展示室の入り口には
高村光太郎作「黒田清輝像」が我々を出迎えてくれており、
絵画も前回訪問した時と全て入れ替わっていました。


特別室は暗い緑色の壁で、とても格調高い空間でした。
「読書」「舞妓」「湖畔」「智・感・情」
これらの作品はすべて重要文化財です。
重要文化財とは国宝の次にランク付けられ、
重要美術品よりも格上とされているのだそうです。




黒田清輝は薩摩藩士の裕福な家に生まれました。
明治政府がフランスの法律や刑法を参考にしていたため、
当時法律を学ぶ者はフランス語が必須だったそうです。
黒田清輝も法律を学びに渡仏し、絵画は趣味だったようです。
本人の遺言により、遺産で東京美術学校の教授であった岡田信一郎氏の設計で
黒田記念館を建て、美術の研究の礎を築いたのです。
2001年にフランスのグレー·シュル·ロワン市に、彼の名前を冠した「黒田清輝通り」が誕生しました。
GUREZ-SUR-LOING
Rue KURODA Seiki
Peintre japonais
(1866-1924)
日本人で初めての快挙だそうです。


日が短くなり、17時前だというのにもうこの暗さです。
ここが入館無料だということをご存知ない方が多いのではないでしょうか?
特別室が公開されるのは新年、春、秋の3期間なので、
その時期がお勧めです。
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04.2017
安芸の宮島・道後温泉の旅(7)松山城
現存12天守の一、松山城へはロープウェイで登りました。
迫力ある高い石垣に圧倒されました。
太鼓櫓付近から奥に天守が顔を見せます。

筒井門を入ると眺望も良好。大観覧車「くるりん」も見えました。

本丸に入ってからも天守まで、結構距離があります。
この辺りは紅葉も綺麗だったので記念撮影。

特にピンクに色づいた紅葉は新鮮な魅力があります。

ここまで来ると、やはり天守にばかり目がいってしまいます。

小天守と南隅櫓、そして奥に見える天守。

枝ぶりの立派な松。
石垣も屋根瓦も、戦うことばかりが目的ではない美しさを放っています。

天守内部は歴史の解説パネルのほか、甲冑や槍など
松山城と松山藩にまつわる様々な物が展示されていました。

加藤嘉明の物と伝わる甲冑。
着用して記念撮影。装着するのに結構時間がかかりました。
実戦ではとても間に合わず、やられてしまうでしょうね。
時間が足りなくてゆっくり見ることができなかったのですが、
天守からの眺望は、なんとか写真に収めてきました。


この後、松山観光港から高速船で広島に入ります。
[安芸の宮島・道後温泉の旅(8)松山観光港~広島港&かき小屋]
迫力ある高い石垣に圧倒されました。
太鼓櫓付近から奥に天守が顔を見せます。



筒井門を入ると眺望も良好。大観覧車「くるりん」も見えました。


本丸に入ってからも天守まで、結構距離があります。
この辺りは紅葉も綺麗だったので記念撮影。


特にピンクに色づいた紅葉は新鮮な魅力があります。



ここまで来ると、やはり天守にばかり目がいってしまいます。


小天守と南隅櫓、そして奥に見える天守。


枝ぶりの立派な松。
石垣も屋根瓦も、戦うことばかりが目的ではない美しさを放っています。


天守内部は歴史の解説パネルのほか、甲冑や槍など
松山城と松山藩にまつわる様々な物が展示されていました。


加藤嘉明の物と伝わる甲冑。
着用して記念撮影。装着するのに結構時間がかかりました。
実戦ではとても間に合わず、やられてしまうでしょうね。



時間が足りなくてゆっくり見ることができなかったのですが、
天守からの眺望は、なんとか写真に収めてきました。




この後、松山観光港から高速船で広島に入ります。
[安芸の宮島・道後温泉の旅(8)松山観光港~広島港&かき小屋]
04.2017
安芸の宮島・道後温泉の旅(6)道後温泉本館・放生園
11月29日(水)早朝散歩の続きです。
道後公園から戻る途中、道後温泉駅が見えました。
駅前には坊ちゃん列車が佇んでいます。

そのすぐ前の放生池のあった場所が埋め立てられ、放生園(ほうじょうえん)になっています。
有名なあの坊ちゃんカラクリ時計もあります。
春風や ふね伊豫に寄りて 道後の湯
~柳原極堂 明治30年(1897)4月3日
夏草や ベースボールの 人遠し
~正岡子規 明治31年(1898)
野球帽をかぶりバットを持った写真をもとに造られた正岡子規の銅像。
柳原極堂は子規の同い年の親友で、上京したのも同じ年だそうです。

道後温泉本館に到着。
中央の唐破風玄関の右に入母屋玄関があり、神の湯のある本館棟が左に並んでいます。

玄関棟と南棟。南棟の2階は、霊の湯の休憩室です。

玄関棟の裏側、銅板葺の建物が又新殿(ゆうしんでん)と霊の湯です。
又新殿は皇室専用の浴室で、3層の屋根がある玄関を御成門(おなりもん)といい、
皇室の方々はここから入られたそうです。
「龍」、「鳳凰」、「湯玉」の3重構造になった立派な屋根瓦で、庭が隣接しているのが見えます。

北側。神の湯本館棟の屋上の塔屋を「振鷺閣(しろかく)」といい、
舞い降りた白鷺も、北を向むいています。
明治時代は、こちらが正面玄関だったそうです。

道後温泉には【玉の石】の伝説があります。
大国主命(おおくにぬしのみこと)が病気の少彦名命(すくなひこなのみこと)を
お湯につけたところ、あっという間に回復し、 この石の上で少彦名命が踊ったのだそうです。

ガス燈は本館100周年を記念して立てられたもの。 モダンなものと合いますね。
このあと、松山城へ向かいます。
道後公園から戻る途中、道後温泉駅が見えました。
駅前には坊ちゃん列車が佇んでいます。


そのすぐ前の放生池のあった場所が埋め立てられ、放生園(ほうじょうえん)になっています。
有名なあの坊ちゃんカラクリ時計もあります。
春風や ふね伊豫に寄りて 道後の湯
~柳原極堂 明治30年(1897)4月3日
夏草や ベースボールの 人遠し
~正岡子規 明治31年(1898)
野球帽をかぶりバットを持った写真をもとに造られた正岡子規の銅像。
柳原極堂は子規の同い年の親友で、上京したのも同じ年だそうです。



道後温泉本館に到着。
中央の唐破風玄関の右に入母屋玄関があり、神の湯のある本館棟が左に並んでいます。


玄関棟と南棟。南棟の2階は、霊の湯の休憩室です。


玄関棟の裏側、銅板葺の建物が又新殿(ゆうしんでん)と霊の湯です。
又新殿は皇室専用の浴室で、3層の屋根がある玄関を御成門(おなりもん)といい、
皇室の方々はここから入られたそうです。
「龍」、「鳳凰」、「湯玉」の3重構造になった立派な屋根瓦で、庭が隣接しているのが見えます。


北側。神の湯本館棟の屋上の塔屋を「振鷺閣(しろかく)」といい、
舞い降りた白鷺も、北を向むいています。
明治時代は、こちらが正面玄関だったそうです。


道後温泉には【玉の石】の伝説があります。
大国主命(おおくにぬしのみこと)が病気の少彦名命(すくなひこなのみこと)を
お湯につけたところ、あっという間に回復し、 この石の上で少彦名命が踊ったのだそうです。



ガス燈は本館100周年を記念して立てられたもの。 モダンなものと合いますね。
このあと、松山城へ向かいます。
03.2017
安芸の宮島・道後温泉の旅(4)伊佐爾波神社
11月29日(水)未明、早朝散歩に繰り出しました。
6:30を過ぎているのに、まだ暗い道。
商店街を抜けて道後温泉駅前を左に進み、鳥居をくぐると
伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)の参道です。
実は夕べ一人で下見をしていたのですが、
この石段は135段もあり、トレーニングに最適。
夕べも今朝もジョギングしている人に出会いました。

石段を上って参拝。神紋は「左三つ巴」ですね。
「早起きは三文の徳」とはいうものの、灯りのあるところ以外は暗くて何も見えません。
カメラのフラッシュでなんとか撮れました。


少し待っていると空が薄明るくなってきました。
そして眼下に広がる参道と街並み。
松平藩藩主:松平定長ゆかりの神社で、宇佐神宮(大分)・石清水八幡宮(京都)と並ぶ、
日本を代表する八幡造の社殿は国指定重要文化財だそうです。

6:30を過ぎているのに、まだ暗い道。
商店街を抜けて道後温泉駅前を左に進み、鳥居をくぐると
伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)の参道です。
実は夕べ一人で下見をしていたのですが、
この石段は135段もあり、トレーニングに最適。
夕べも今朝もジョギングしている人に出会いました。

石段を上って参拝。神紋は「左三つ巴」ですね。
「早起きは三文の徳」とはいうものの、灯りのあるところ以外は暗くて何も見えません。
カメラのフラッシュでなんとか撮れました。




少し待っていると空が薄明るくなってきました。
そして眼下に広がる参道と街並み。

松平藩藩主:松平定長ゆかりの神社で、宇佐神宮(大分)・石清水八幡宮(京都)と並ぶ、
日本を代表する八幡造の社殿は国指定重要文化財だそうです。

03.2017