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■ライブ・スケジュール 詳細を見る
2023年
9月30日(土)Live CUSTER(ライブ·カスター)
14:00 Open/14:30 Start
地下鉄:千代田線湯島駅 銀座線上野広小路駅
JR御徒町駅
11月25日(土)Live CUSTER(ライブ·カスター)
14:00 Open/14:30 Start
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9月30日(土)Live CUSTER(ライブ·カスター)
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地下鉄:千代田線湯島駅 銀座線上野広小路駅
JR御徒町駅
01.2018
安芸の宮島・道後温泉の旅(12)宮島:厳島神社&大願寺(弁財天)
11月30日(木)弥山から戻ると厳島神社に直行。
この日は広島港の満潮時刻 6:56 潮位 293 干潮時刻 13:01 潮位 104
潮位 100以下が大鳥居の下まで歩ける基準とのことですが、
少し高くても、なんとか歩けるのだそうです。
それでは、比較する意味で、早朝散歩の時と合わせてご覧ください。


小高い丘に登ると五重塔と千畳閣の見える絶景ポイント。
この辺りには鹿が街中を歩いています。

落ち葉が貼りついた雨上がりの小径。何とも言えぬ趣です。
以下は干潮時です。
昨夜の満潮時に屋形船でくぐった時との潮位の差は199、
一般的な人の背丈よりずっと高いです。

食事をしてから厳島神社に参拝しました。
海に浮かぶ社殿とどちらが美しいか、好みは分かれるでしょうが、
鏡の池が現れるのは干潮時ならではです。


厳島神社の出口のすぐそばに大願寺はあります。
芸能の神、弁財天が祀られています。
九本松が印象的でした。

「安芸の宮島・道後温泉の旅」次回は最終回です。
この日は広島港の満潮時刻 6:56 潮位 293 干潮時刻 13:01 潮位 104
潮位 100以下が大鳥居の下まで歩ける基準とのことですが、
少し高くても、なんとか歩けるのだそうです。
それでは、比較する意味で、早朝散歩の時と合わせてご覧ください。




小高い丘に登ると五重塔と千畳閣の見える絶景ポイント。
この辺りには鹿が街中を歩いています。


落ち葉が貼りついた雨上がりの小径。何とも言えぬ趣です。


以下は干潮時です。
昨夜の満潮時に屋形船でくぐった時との潮位の差は199、
一般的な人の背丈よりずっと高いです。


食事をしてから厳島神社に参拝しました。
海に浮かぶ社殿とどちらが美しいか、好みは分かれるでしょうが、
鏡の池が現れるのは干潮時ならではです。




厳島神社の出口のすぐそばに大願寺はあります。
芸能の神、弁財天が祀られています。
九本松が印象的でした。


「安芸の宮島・道後温泉の旅」次回は最終回です。
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31.2017
安芸の宮島・道後温泉の旅(11)弥山~紅葉谷公園
11月30日(木)、心配された雨も上がり、弥山(みせん)登山を決行しました。
宮島ロープウエーの紅葉谷駅からかや谷駅の間、眼下に紅葉が広がります。

そして獅子岩駅行きのロープウェイに乗り換えてから、
一斉にどよめきの声が起こりました。
靄がかかった幻想的な多島美。まるで雲海に突き抜けた山のよう!
玉ねぎみたいな可愛い島は「小黒神島」。無人島です。

獅子岩駅からは歩いて登ります。
1996年に世界遺産に指定された「弥山原始林」を過ぎて、
弥山本堂と霊火堂に到着。

806年(大同元年)、大聖院を開いた弘法大師(空海)が修行の際に焚かれてから、
1,200年以上も途絶えることなく燃え続けている「消えずの霊火」。
この火で沸かした茶釜の霊水は万病に効くと云われています。

更に登り続けました。至る所に現れる石積み群。
弥山は須弥山(しゅみせん)の略称で、仏教的宇宙観では、
宇宙の中心にそびえる、霊験あらたかな山なのです。

観音堂・文殊堂と巨岩。くぐり岩を過ぎれば、山頂はもうすぐ。

皇太子殿下御展望跡の碑。(標高535m)

山頂の奇岩群。厳島の最高峰からの360度のパノラマ眺望は最高でした。
ここまで頑張って登った人にしか観ることのできない景色です。
伊藤博文はこの弥山頂上からの眺めを
「日本三景の一の真価は頂上の眺めにあり」と感嘆したそうです。
そして、こんな所にも鹿が出現。



ここからは下りです。
干満岩(かんまんいわ)。標高約500mの地点にありながら、
巨岩の側面にあいた小さな穴の水が潮の満ち引きにあわせて上下するのだそう。
しかも、その水には塩分が含まれているらしいです。
この穴に小鳥(ヤマガラ)が出入りしていました。

舟岩と弥山大日堂。
806年(大同元年)に弘法大師・空海によって修法の道場として造営されました。
霊火堂に戻って、万病に効くといわれる茶釜の霊水を飲んで下山。
紅葉谷公園を通って厳島神社へと向かいました。

重要文化財の宿「岩惣」に到着。

この後は、この旅のメイン、厳島神社です。
宮島ロープウエーの紅葉谷駅からかや谷駅の間、眼下に紅葉が広がります。


そして獅子岩駅行きのロープウェイに乗り換えてから、
一斉にどよめきの声が起こりました。
靄がかかった幻想的な多島美。まるで雲海に突き抜けた山のよう!
玉ねぎみたいな可愛い島は「小黒神島」。無人島です。


獅子岩駅からは歩いて登ります。
1996年に世界遺産に指定された「弥山原始林」を過ぎて、
弥山本堂と霊火堂に到着。




806年(大同元年)、大聖院を開いた弘法大師(空海)が修行の際に焚かれてから、
1,200年以上も途絶えることなく燃え続けている「消えずの霊火」。
この火で沸かした茶釜の霊水は万病に効くと云われています。



更に登り続けました。至る所に現れる石積み群。
弥山は須弥山(しゅみせん)の略称で、仏教的宇宙観では、
宇宙の中心にそびえる、霊験あらたかな山なのです。


観音堂・文殊堂と巨岩。くぐり岩を過ぎれば、山頂はもうすぐ。


皇太子殿下御展望跡の碑。(標高535m)


山頂の奇岩群。厳島の最高峰からの360度のパノラマ眺望は最高でした。
ここまで頑張って登った人にしか観ることのできない景色です。
伊藤博文はこの弥山頂上からの眺めを
「日本三景の一の真価は頂上の眺めにあり」と感嘆したそうです。
そして、こんな所にも鹿が出現。






ここからは下りです。
干満岩(かんまんいわ)。標高約500mの地点にありながら、
巨岩の側面にあいた小さな穴の水が潮の満ち引きにあわせて上下するのだそう。
しかも、その水には塩分が含まれているらしいです。
この穴に小鳥(ヤマガラ)が出入りしていました。


舟岩と弥山大日堂。
806年(大同元年)に弘法大師・空海によって修法の道場として造営されました。


霊火堂に戻って、万病に効くといわれる茶釜の霊水を飲んで下山。
紅葉谷公園を通って厳島神社へと向かいました。


重要文化財の宿「岩惣」に到着。


この後は、この旅のメイン、厳島神社です。
31.2017
安芸の宮島・道後温泉の旅(9)広島平和記念公園と原爆ドーム
11月29日(水)、広島港から市電で乗り換えなし、本通り下車。
商店街のアーケードを過ぎるとほどなく原爆ドームが見えました。
被爆前は広島県物産陳列館として使われていた洋風建築でした。

言葉少なに歩きます。

原爆ドームと平和記念公園との間を流れる元安川。
火傷を負った人々が水を求めて飛び込み、
高濃度の放射能に汚染された川で亡くなりました。
平和記念公園の木々はこの地でおきたことを知ってか知らずか、
その身を紅葉させ、ここで亡くなった人々の上に降り積もります。

慰霊碑と平和資料館。慰霊碑の中から原爆ドームが見えます。

原爆の子の像。折り鶴の少女は佐々木禎子さん。
_convert_20171231131800s.jpg)
鐘を鳴らして、平和公園を後にしました。
商店街のアーケードを過ぎるとほどなく原爆ドームが見えました。
被爆前は広島県物産陳列館として使われていた洋風建築でした。


言葉少なに歩きます。


原爆ドームと平和記念公園との間を流れる元安川。
火傷を負った人々が水を求めて飛び込み、
高濃度の放射能に汚染された川で亡くなりました。
平和記念公園の木々はこの地でおきたことを知ってか知らずか、
その身を紅葉させ、ここで亡くなった人々の上に降り積もります。


慰霊碑と平和資料館。慰霊碑の中から原爆ドームが見えます。


原爆の子の像。折り鶴の少女は佐々木禎子さん。

_convert_20171231131800s.jpg)
鐘を鳴らして、平和公園を後にしました。
08.2015
沖縄「今帰仁城跡」 芭蕉布をめぐる旅⑪
4月22日(水)「沖縄 芭蕉布をめぐる旅」3日目。今頃になってようやく更新です。どうもすみません。
藍染茶房「藍風」でヒラヤーチーをいただき、今帰仁城跡に向かいました。
今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう)は、14世紀、琉球王国成立以前に存在した北山の国王・北山王の居城で、北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく)とも呼ばれていたそうです。
到着後、目の前に広がるのは、こんな姿。地形に沿った城跡の曲線がとても美しいです。

平郎門(へいろうもん)をくぐって中に入ります。右下は内部からの様子。

石畳道と階段。桜の並木道を進みます。

志慶真乙樽(しげまうとぅだる)の歌碑
今帰仁の城 しもなりの九年母(クニブ)
志慶真乙樽が ぬきゃいはきゃい
今帰仁城の南にある志慶真ムラという集落に「乙樽」という黒髪が美しい美女がいました。乙女のうわさは国中に広がり「今帰仁御神」と呼ばれ、山北王の側室に迎えられました。何不自由なく幸せな毎日でしたが、王には長い間後継ぎがありません。王妃も側室の乙樽も世継ぎを授かることを祈っていました。やがて王妃が子を授かりました。高齢の王に世継ぎが出来たことを、季節はずれの九年母(クニブ=蜜柑)が実ったことに喩え、志慶真乙樽が子供をあやしている平和な様子を謡っています。
まるで子供のはしゃぐ声が聞こえてくるようです。
山北今帰仁城監守来歴碑記

昔、琉球はいくつもの地域に分裂していたのですが、やがて北山・中山・南山の三山時代に入りました。そして1416年の三山統一後、中山から遠く離れた北山を教化するため、尚巴志王は自らの次子である尚忠を監守として派遣しました。監守は代々受け継がれ、今帰仁城は1665年まで琉球王府から派遣された監守の居城だったと伝えられているそうです。
高い所からの眺めは抜群です。

今帰仁城跡で見つけた花。

とある歌の本の「芭蕉布」のページに写真が掲載されていて、かねてより行きたかったところです。曇っていたので、その写真のようにはいかなかったのですが、ほんのり青い海と空はやっぱり沖縄の青でした。
(つづく)
沖縄「琉球藍 伊豆味焼・藍染茶房 藍風」 芭蕉布をめぐる旅⑩
沖縄「古宇利大橋~芭蕉布会館」 芭蕉布をめぐる旅 ⑫
藍染茶房「藍風」でヒラヤーチーをいただき、今帰仁城跡に向かいました。
今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう)は、14世紀、琉球王国成立以前に存在した北山の国王・北山王の居城で、北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく)とも呼ばれていたそうです。
到着後、目の前に広がるのは、こんな姿。地形に沿った城跡の曲線がとても美しいです。


平郎門(へいろうもん)をくぐって中に入ります。右下は内部からの様子。


石畳道と階段。桜の並木道を進みます。


志慶真乙樽(しげまうとぅだる)の歌碑

今帰仁の城 しもなりの九年母(クニブ)
志慶真乙樽が ぬきゃいはきゃい
今帰仁城の南にある志慶真ムラという集落に「乙樽」という黒髪が美しい美女がいました。乙女のうわさは国中に広がり「今帰仁御神」と呼ばれ、山北王の側室に迎えられました。何不自由なく幸せな毎日でしたが、王には長い間後継ぎがありません。王妃も側室の乙樽も世継ぎを授かることを祈っていました。やがて王妃が子を授かりました。高齢の王に世継ぎが出来たことを、季節はずれの九年母(クニブ=蜜柑)が実ったことに喩え、志慶真乙樽が子供をあやしている平和な様子を謡っています。
まるで子供のはしゃぐ声が聞こえてくるようです。
山北今帰仁城監守来歴碑記

昔、琉球はいくつもの地域に分裂していたのですが、やがて北山・中山・南山の三山時代に入りました。そして1416年の三山統一後、中山から遠く離れた北山を教化するため、尚巴志王は自らの次子である尚忠を監守として派遣しました。監守は代々受け継がれ、今帰仁城は1665年まで琉球王府から派遣された監守の居城だったと伝えられているそうです。
高い所からの眺めは抜群です。


今帰仁城跡で見つけた花。


とある歌の本の「芭蕉布」のページに写真が掲載されていて、かねてより行きたかったところです。曇っていたので、その写真のようにはいかなかったのですが、ほんのり青い海と空はやっぱり沖縄の青でした。
(つづく)
沖縄「琉球藍 伊豆味焼・藍染茶房 藍風」 芭蕉布をめぐる旅⑩
沖縄「古宇利大橋~芭蕉布会館」 芭蕉布をめぐる旅 ⑫
12.2015
沖縄「首里城公園」 芭蕉布をめぐる旅②
4月20日(月)、首里金城町石畳道を1時間ほど散策して、首里殿内の前から首里城前までタクシーで移動。16:47到着。15分程度でした。
守礼門のお出迎え。扁額に「守禮之邦」と書かれています。

守礼門(しゅれいもん)
機内で軽食を摂っただけだったので、30~40分ほど軽く食事休憩しました。レストランのある首里杜館(すいむいかん)前にはシンボルツリーのような大きなガジュマルがありました。安心感を与えてくれる木ですね。

首里杜館(すいむいかん)前のガジュマル
琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録された、園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)です。この御嶽は国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した場所であることから、我々も旅の安全を祈るために訪れようと決めていました。

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
歓会門(かんかいもん)が見えてきました。先程の守礼門といい、本土の建築とは異なり、中国の城に近いですね。歓会門をくぐる時のアーチに切り取られた景観が印象的でした。

歓会門(かんかいもん)
その先には瑞泉門(ずいせんもん)が見えます。
瑞泉門の石段の下からは久慶門(きゅうけいもん)も見えます。女性の通用門として使用されていたそうです。

瑞泉門(ずいせんもん) 歓会門側から見た久慶門(きゅうけいもん)
瑞泉門をくぐって左手にある漏刻門(ろうこくもん)。「漏刻」とは中国語で「水時計」という意味。時を知らせる門です。
漏刻門の先には日影台(にちえいだい)や「万国津梁の鐘」のレプリカがあり、龍潭池(りゅうたんいけ)側が眺望出来ます。

漏刻門(ろうこくもん)
奉神門(ほうしんもん)、正殿のある御庭(うなー)へ続く最後の門です。3つの入り口があります。かつてはが身分の高い者が中央を利用していました。この先が有料エリアです。

奉神門(ほうしんもん)
いよいよ首里城 正殿。1429年に成立した琉球王朝の栄華が偲ばれます。
生憎の曇天で、本来の鮮やかさが写せなかったのが残念です。

首里城 正殿
現在、南殿・番所(なんでん・ばんどころ)は、王朝時代の美術工芸品などの展示室として利用されています。
その傍らにハイビスカスが咲いていました。沖縄に来てからは見慣れた花も、背景が変われば一風変わった絵になります。

書院(しょいん)。ここは写真OK。いままでの朱塗りの壁や柱とは異なり、和の趣です。

書院(しょいん)と庭園
琉球石灰岩とソテツと松などで構成された庭園。砂利が枯山水の趣です。

正殿内部の玉座(復元)です。後ほど紹介する正殿正面と同様に、両側に吽形と阿形の龍柱が配されています。
「中山世土(ちゅうざんせいど)」 「輯瑞球陽(しゅうずいきゅうよう)」 「永祚瀛壖(えいそえいぜん)」 と書かれた3つの扁額が掛けられていました。

正殿内部の玉座(復元)
戦後、わずかに残った首里城跡の遺構部分を見ることができます。

首里城跡の遺構部分
唐破風の妻飾。中央には火焔宝珠、両脇には金龍と瑞雲の彫刻、中央上部には龍頭が飾られています。左右の棟飾りも龍頭です。ひげが何とも言えない絶妙な形ですね。

首里城 正殿のライトアップ 唐破風妻飾

日没時刻からライトアップされます。できればトワイライトタイムの中でもダークブルーがとりわけ美しい「マジックアワー」に撮影したかったのですが、残念ながら正殿のエリアは19:00で閉園。
「西(イリ)のアザナ」からライトアップされた城内と那覇市街の夕景を眺め、後ろ髪を引かれる思いで首里城を後にしました。
この後はタクシーで国際通りに向かいます。
(つづく)
沖縄「首里金城町石畳道」 芭蕉布をめぐる旅①
沖縄「国際通りで三線と民謡ライブ」 芭蕉布をめぐる旅③
守礼門のお出迎え。扁額に「守禮之邦」と書かれています。

守礼門(しゅれいもん)
機内で軽食を摂っただけだったので、30~40分ほど軽く食事休憩しました。レストランのある首里杜館(すいむいかん)前にはシンボルツリーのような大きなガジュマルがありました。安心感を与えてくれる木ですね。

首里杜館(すいむいかん)前のガジュマル
琉球王国のグスク及び関連遺産群としてユネスコの世界遺産(文化遺産)にも登録された、園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)です。この御嶽は国王が各地を巡航する旅に出る際必ず拝礼した場所であることから、我々も旅の安全を祈るために訪れようと決めていました。

園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)
歓会門(かんかいもん)が見えてきました。先程の守礼門といい、本土の建築とは異なり、中国の城に近いですね。歓会門をくぐる時のアーチに切り取られた景観が印象的でした。


歓会門(かんかいもん)
その先には瑞泉門(ずいせんもん)が見えます。
瑞泉門の石段の下からは久慶門(きゅうけいもん)も見えます。女性の通用門として使用されていたそうです。


瑞泉門(ずいせんもん) 歓会門側から見た久慶門(きゅうけいもん)
瑞泉門をくぐって左手にある漏刻門(ろうこくもん)。「漏刻」とは中国語で「水時計」という意味。時を知らせる門です。
漏刻門の先には日影台(にちえいだい)や「万国津梁の鐘」のレプリカがあり、龍潭池(りゅうたんいけ)側が眺望出来ます。


漏刻門(ろうこくもん)
奉神門(ほうしんもん)、正殿のある御庭(うなー)へ続く最後の門です。3つの入り口があります。かつてはが身分の高い者が中央を利用していました。この先が有料エリアです。

奉神門(ほうしんもん)
いよいよ首里城 正殿。1429年に成立した琉球王朝の栄華が偲ばれます。
生憎の曇天で、本来の鮮やかさが写せなかったのが残念です。

首里城 正殿
現在、南殿・番所(なんでん・ばんどころ)は、王朝時代の美術工芸品などの展示室として利用されています。
その傍らにハイビスカスが咲いていました。沖縄に来てからは見慣れた花も、背景が変われば一風変わった絵になります。

書院(しょいん)。ここは写真OK。いままでの朱塗りの壁や柱とは異なり、和の趣です。


書院(しょいん)と庭園
琉球石灰岩とソテツと松などで構成された庭園。砂利が枯山水の趣です。

正殿内部の玉座(復元)です。後ほど紹介する正殿正面と同様に、両側に吽形と阿形の龍柱が配されています。
「中山世土(ちゅうざんせいど)」 「輯瑞球陽(しゅうずいきゅうよう)」 「永祚瀛壖(えいそえいぜん)」 と書かれた3つの扁額が掛けられていました。

正殿内部の玉座(復元)
戦後、わずかに残った首里城跡の遺構部分を見ることができます。

首里城跡の遺構部分
唐破風の妻飾。中央には火焔宝珠、両脇には金龍と瑞雲の彫刻、中央上部には龍頭が飾られています。左右の棟飾りも龍頭です。ひげが何とも言えない絶妙な形ですね。


首里城 正殿のライトアップ 唐破風妻飾

日没時刻からライトアップされます。できればトワイライトタイムの中でもダークブルーがとりわけ美しい「マジックアワー」に撮影したかったのですが、残念ながら正殿のエリアは19:00で閉園。
「西(イリ)のアザナ」からライトアップされた城内と那覇市街の夕景を眺め、後ろ髪を引かれる思いで首里城を後にしました。
この後はタクシーで国際通りに向かいます。
(つづく)
沖縄「首里金城町石畳道」 芭蕉布をめぐる旅①
沖縄「国際通りで三線と民謡ライブ」 芭蕉布をめぐる旅③